東京都荒川区心霊スポット【浄閑寺(投げ込み寺)】 78箇所目 | 心霊スポット散策

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今回は、東京都荒川区にある心霊スポット【浄閑寺】

へ行ってきました。

浄閑寺は東京都荒川区南千住にある浄土宗の寺院です。

投げ込み寺としても有名な場所で、心霊スポットとしても有名です。

吉原遊廓の近くにあり遊女の投げ込み寺として知られていて、昔は欅の木の周りのどこかに大きい穴を掘ってそこに投げ込んでいたらしいです。

 

夜間は門が締まり中には入れなくなっています!!

下調べなく行ったら門が締まっていては入れませんでした。

日を改めて昼間に行ってみたいと思います!!

 

日中に行ってきました。

浄閑寺は、別名投げ込み寺とも呼ばれている場所です。

その由来は、1855年・安政2年に起こった「安政江戸地震」からといわれています。

この地震で吉原の遊女たちも大勢亡くなり、浄閑寺に投げ込まれるようになりました。

その後、身寄りのない遊女が亡くなれば浄閑寺で埋葬されるようになります。

それで浄閑寺は「投げ込み寺」と呼ばれるようになったようです。

心霊の噂は、大地震で亡くなった多くの遊女の怨念が未だ残っていて心霊現象を起こしていると言われています。

 

 

浄閑寺の歴史

浄閑寺は、1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早くできています。

寺の公式サイトによると、同寺が投込寺と呼ばれるようになったのは、

安政2年(1855)の大地震の際にたくさんの新吉原の遊女が投げ込むように葬られたことから「投込寺」と呼ばれるようになった。

花又花酔の川柳に、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と詠まれ、新吉原総霊塔が建立されたようです。

檀徒のほかに、遊女やその子供の名前を記した、寛保3年(1743)から大正15年(1926)にいたる、幾十冊の過去帳が現存しているようです。

遊女の暗く悲しい生涯に思いをはせて、作家永井荷風はしばしば当寺を訪れている。

「今の世のわかき人々」にはじまる荷風の詩碑は、このような縁でここに建てられたものである。
http://jyokanji.com/about.html

新吉原総霊塔
現在の塔は昭和4年8月に、寛政5年(1793年)以来の供養塚を改修されたものです。

形を改め、名も「新吉原総霊塔」としたもので、前の塚は安政2年(1855年)10月2日の大地震に横死した遊女五百余人が運ばれ供養されていたようです。

新吉原創業から廃業まで江戸、明治、大正、昭和と三百八十余年間に浄閑寺に葬られた遊女、遊女の子、遺手婆など遊郭関係のものや、安政、大正両度の大震災に死んだものを含めた推定数は二万五千に及ぶとのことです。

もともとは 欅の木の周りのどこかに大きい穴を掘ってそこに投げ込んでいたらしいので、この大きな欅の木は人の栄養で立派に育ったのかもしれません、、、


首洗い井戸
父・本庄助太夫の仇である平井権八を討ち果そうとした助七と助八の兄弟でしたが、兄助七は吉原田圃で権八に返り討ちにあってしまいます。弟の助八はこの井戸で兄の首を洗っているところを、無残にも権八に襲われ討ち果たされてしまいました。この平井権八の話は、浄瑠璃や歌舞伎にもなっています。

投げ込み寺に、約25000名の遊女が運び込まれた場所

吉原では身寄りのない遊女が亡くなると人目を避けて密かにこちらに運び込まれ、供養など一切されずに葬られました。

「心中」「枕荒らし(客の財布を盗む)」「起請文乱発(お気に入りの客に手紙を出す)」「足抜け(脱走)」等々吉原の掟を破った遊女の場合は、遺体が素裸にされ荒菰に包まれた状態で文字通り「投げ込まれた」らしいです。
遊郭としての吉原は何と昭和33年4月1日の売春防止法施行まで存続していた場所なんです。

当地で江戸・明治・大正・昭和と301年続いたことになりますが、関東大震災で亡くなった数も含めて約25000名の遊女がここに運び込まれたそうです。

 

浄閑寺で噂される心霊現象

・浄閑寺を訪れると悲しくなり涙が出てくる

 無念になくなってしまった人の怨念で悲しい気持ちがこみ上げてくるらしい、、、

 

浄閑寺は、夜間門が締まりは入れないので、心霊現象の情報は多くありませんでした。

霊感のある方や、女性方が行かれた時に悲しい気持ちになり涙が出てしまうことがあるようです、、、

 

心霊スポットというよりは、吉原遊郭の歴史の闇を知れる場所となっています。

鬼滅の刃の遊郭編でもお馴染みの遊郭です。

ワンピースの和の国編でも花魁は出てきています。

歴史的にも花魁、遊郭は華やかに描かれていることが多いですが、、、

華やかなものには、闇がつきものですよね、、、

その闇の片鱗を知ることができる場所です。

興味のある人は、一度立ち寄ってみてはいかがでしょうか?

一緒に、吉原弁財天も行くのをお勧めします。

 

撮影日:2023年3月12日

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