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本稿の趣旨は、アメリカの國體と日本の國體との相違點を明らかにすることにより、日本における新自由主義者は《保守》とはよびえないことを示すところにあります。要旨は、次のとほりです。
「アメリカの保守と日本の保守とは、守るものがちがふ。アメリカの國體は《自由》であり、日本の國體は《君民一體》である。守るものがちがへば、保守革新の勢力圖も當然にちがってくる。新自由主義は、アメリカでは保守思想であっても、日本においては革新思想である。したがって、安倍氏も歴とした革新派である。保守派とみなさないやうに。」
安倍總理大臣が増税の決斷をしてしまひました。まことに殘念です。わたくしも、微力ながら増税反對運動をしてきただけに、己れの非力をさとります。
10月1日の記者會見をみて、わたくしはあらためて再認識いたしました、
「安倍さんは、《日本の保守》ではない。」
と。
「新自由主義者よ、保守を僭稱することなかれ。」
わたくしは常々、さう言ひつづけてきました。なぜならば、わが國の傳統のどこを探しても、新自由主義的な思想は出てこないからです。むしろ、わが國體に反するのが、新自由主義であります。
海の向うのアメリカ合衆國。その國體は、一言であらはすなら《自由》といふことです。國體とは、
「それを拔いてしまふと、その國がその國でなくなってしまふもの」
であります。要は、國の獨自性・アイデンティティーです。
アメリカの國體は《自由》。したがって、その自由を守る勢力が「保守」と呼ばれます。
ちかごろ、移民を制限するといふ案が出てゐるさうですが、それなどはアメリカ國體に反する考へです。
「はひってくるも自由、出てゆくも自由。」
といふのが、建國以來の傳統であるからです。また、
「金持になるも自由。貧乏になるも自由。」
とも考へられてきました。すべては自由竸爭で、結果は自己責任、といふ思想です。社會保障は、國家が國民の領域に介入する政策であるといふ點において、アメリカの傳統に反してをります。だからこそ、かの國では社會保障への反對が根強いのです。
ニュー・ディール政策をおこなったフランクリン・ルーズヴェルトを「社會主義者」とののしる人が、アメリカには少なからずをります。(實際、かれはアカでしたが。)また、ちかごろ「オバマ・ケア」なる社會保障政策をめぐって、かの國では大論爭になってをりますが、大統領を批判する人たちはやはり「社會主義政策だ!」と舌鋒鋭く主張します。
繰り返しますが、アメリカの國體は《自由》です。その自由を守る勢力こそが「保守」であります。したがって、政黨では共和黨が保守派とよばれるのです。新自由主義は、アメリカの國體には親和性をもちます。それゆゑ、かの國では新自由主義=新保守主義といふ構圖になるのです。
かたや、日本の國體はどうでせうか? いろいろな定義が考へられますが、わが國體を一言でいひあらはすなら、
《君民一體》
といふことでせう。わが國の獨自性は、その點にあります。君民一體でなく君民對立になってしまったら、そんな國はもはや日本ではありません。どこにでもある普通の國になってしまひます。
それでは、君民が“どんなふうに”一體となってゐるのでせうか? わたくしの答へは、これです。
「天皇が國民ひとりひとりの幸せを一心に御祈りになり、國民はその御祈りを實現すべくひたすら精進努力する。」
そのやうに一體となることが、君民一體といふことです。
天皇が國民ひとりひとりの幸せを祈りつづけてをられることは、疑ひやうのない事實です。日本國家をつらぬく眞實でもあります。したがって、われら國民としては、天皇のその御願に沿はないかぎり、君民一體は望めません。むろん、政策もその方向を目指すものでなければならないのです。
一部の富裕層が優遇され、大多數の貧困層が虐げられる政策をつづけるのは、君民一體に反します。天皇だけ國民ひとりひとりの幸せを祈り、國民の方は弱者いぢめをつづける。そんなていたらくは、君民一體ではない。まさか、天皇にたいし奉り、
「特定の國民だけ幸せになれと、御祈りしてくれませんか?」
とでも、御頼みするつもりですか? それはできないでせう。「できる」といふ方は、天皇に直訴してください。天皇に面とむかって、そんなことを申上げられますか。まあ、假にできたとしても、天皇は御聽き入れにならないでせう。君民一體への道は、ひとつしかないのです。
わが國體が《君民一體》であるとするならば、わが國における保守は、それを守り推進する勢力でなければなりません。逆に、君民不一致を志向する勢力は、まったく保守とはよびえないどころか、立派な《革新勢力》です。
わが國の現状はどうでせうか? 新自由主義を奉ずる勢力が、保守を名乘ってゐるではありませんか。その親玉が、安倍首相であります。規制緩和や成長戰略など、安倍氏のかかげる政策をみる限り、かれは歴とした新自由主義者です。そもそも、小泉純一郎元首相に見込まれて後繼者に指名されたくらゐですから、“正統的な”新自由主義者とみなして差支へありません。
もし、「保守」といふ理由“だけ”で安倍氏を支持してをられるならば、「それはおやめなさい。」と御忠告いたします。新自由主義者は、保守ではなく革新なのです。
誤解されないやうに申上げると、わたくしは、安倍氏を限定的にではありますが支持してをります。したがって、倒閣運動に加はるつもりはありません。ただ、安倍首相の“正體”を直視してほしいと願って、この一文を書きました。
消費税は、弱者につらくあたる税金です。一方、強者には恩惠すら與へられます。日本國民を、弱者と強者とに分斷し、弱者を虐げるもの。それが、消費税なのです。そんな税金を上げる決斷をする政治家は、どんな理由があれ、《日本の保守》とは呼べません。君民一體をめざす氣概に乏しいからです。
ちかごろは「解雇特區」なるものを創るとか言ってをります。一聯の行動を總合的にみるかぎり、安倍氏を保守派とみなすことはできません。まがふことなき革新派です。靖國神社に參拜しようがしまいが、關係ありません。靖國參拜は、“保守の免許證”とはなりえないのです。
最後に、まとめを再掲して終ります。
「アメリカの保守と日本の保守とは、守るものがちがふ。アメリカの國體は《自由》であり、日本の國體は《君民一體》である。守るものがちがへば、保守革新の勢力圖も異なる。新自由主義は、アメリカでは保守思想であっても、日本においては革新思想である。したがって、安倍氏も歴とした革新派である。保守派とみなさないやうに。」
(終)
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