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雜誌『正論』2013年6月號の118~137頁に、産經新聞による憲法改正草案が解説つきで載ってをります。それにも主權についての記述があるので、檢討してみます。草案では、「第二章 国の構成」がそれにあたります。
まづ、解説にはかうあります。
「第一章「天皇」の次に「国の構成」に関する章を設け、国家の三要素である「主権」「領土」「国民」について明記した。」(122頁)
したがって、そのやうな考へのもと、草案第一〇條(国民主権)に
「主権は、国民に存し、国家権力は、国民に由来する。国民は、その代表者を通じて、またはこの憲法の定める方法により、主権を行使する。」
と定めたやうです。
ここで勘違ひしてはならないのは、國家三要素における主權とは、「國内勢力のうち、どこに主權があるか?」といふ意味の(國内的な)主權ではなく、「外國による介入・干渉をうけず、獨立して統治をおこなふ」といふ意味の(國際的な)主權であるといふことです。
もし、國内的な主權概念がなければ國家ではない、といふならば、イギリスやアメリカ合衆國は國家でなくなってしまひます。まへの記事にも書いたとほり、アメリカ憲法に主權の文字はありませんし、イギリスもおほやけには國内的な主權概念をみとめてをりません。中川八洋氏の著書を讀めば、それらはすぐに諒解されます。
國家の三要素における主權とは、言ひ換へれば《統治權》であります。一定の領域内を排他的に支配する力をもつことをさすのです。
マックス・ヴェーバーによる國家の定義にそくして、説明いたしませう。
「国家とは、ある一定の領域の内部で・・・・・・正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体である。」『職業としての政治』(岩波書店)9頁
その定義に、國家の三要素がちゃんとはひってをります。「ある一定の領域」といふのが《領土》であり、「人間共同体」といふのが《國民》であります。そして、「正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する」といふのが《主權》なのです。
君主主權・國民主權などにおける主權概念とは違ふといふことが、おわかりいただけますか。何より異なるのは、たとへば國民主權の國における國民であっても、「正当な物理的暴力行使」は許されてをりません。せいぜい現行犯逮捕がみとめられるくらゐです。もちろん搜査權限はありませんし、(立退などの)強制執行をする權限もありません。
それらがみとめられるのは政府だけです。「正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求」して作られるものこそ、統治機構たる政府であります。つまり、國家の三要素における主權とは、政府のことなのです。政府のない國家はありえません。だからこそ國家の三要素にカウントされてゐるのです。
國家の三要素における主權とは政府の存在であること、おわかりいただけましたか。國内的に主權が君主にあるか國民にあるか、といふ意味での主權にはあたらないといふことです。したがって、草案第一〇條は要りません。蛇足です。
國家の三要素における主權ならば、草案第13條(国家主権、国および国民の責務)に明記されてをります。
「国は、その主権と独立を守り、公の秩序を維持し、かつ国民の生命、自由および財産を保護しなければならない。」
それだけで何の問題もありません。あたりまへすぎて、明記しなくともよいくらゐです。もちろん、國家の三要素にかこつけて國民主權をさだめる必要もありません。いやむしろ、わが國の歴史・傳統にそぐはないといふ點において、書くべきでない言葉です。
主權といふ言葉でも、示される概念がふたつある。そんな基本的な事項をなほざりにして憲法を起草すると、知ったかぶりの案ができあがります。或る意味、勇敢であります。蠻勇でせうか。けなすのではありません。ほめてゐるのです。
(つづく)
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