君民一體の國に、主權の二文字は要らない・・・主權概念を追放せよ(4) | シラスとウシハク【保守・革新でなく、日本獨自のありかたにもとづく區別をとり、時事・歴史問題を考へるブログ】

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  わが國は、君主と人民が對立する關係にはありません。むしろ一致・一體を志向します。それは國史をながめれば明らかです。わが國の傳統思想に、皇室を打倒しようとするものはありません。歴史的事實に即しても、天皇といふ存在じたいを無くさうとしたことはありません。あるのは、個人の天皇を退け申上げたことだけです。






  わが國に君主制打倒の動きがみえはじめたのは、自由民權運動の頃であります。民權派の一部が、君主制の打倒をはげしくとなへたのが、その始まりです。


  ただし、その動きにしても、わが國の君民關係に對立を見出したためではありません。ルソーをはじめとする西洋の書物を讀み、そこに書いてある理論なり思想なりをわが國にあてはめてみただけなのです。


「西洋諸國の君民關係がこの本のとほりならば、わが國もきっとさうに違ひない」

と、素朴に信じただけであります。つまり、觀念といふ色眼鏡をもってわが國の現實をながめたわけです。その點は、のちの共産主義者も同じであります。マルクスの著書を讀み、その内容を眞實とおもひこんで、天皇制打倒をさけんだのです。






  そこが、ヨーロッパ思想(社會主義など)とは異なるところです。ルソーにしてもマルクスにしても、君主制打倒の思想は、ヨーロッパの現實からうまれました。ヨーロッパ諸國の君民關係に對立を見出し、君主が人民の敵であることに氣づいたからこそ、かれらは君主制の打倒におもひが至ったのです。


  つまり、現實・事實から、觀念・思想がうまれました。

現實・事實⇒觀念・思想

  言ひ換へれば、現實がまづあって、そこから書物がうまれ、思想が形成されたのです。


  それにたいし、わが國における君主制打倒の思想は、わが國の現實からうまれたのではありません。西洋の書物を讀み、その思想にかぶれてうまれたのです。


  すなはち、觀念・思想がまづあって、そこから現實をみるといふ流れをとります。

觀念・思想⇒現實・事實

  書物が先にあって、その内容を通して現實をみるわけです。


  すると、ありもしない事實が見えてきます。みなさんも、覺えがありませう。先入觀・思込み・偏見をもったまま世界をながめると、ありもしないことが事實であるかのごとく感じられますね。君民對立なんぞありはしないのに、ルソーやマルクスらの思想をとほしてわが國をみると、あたかも對立關係があるかのやうに見えるのです。


  文系の學問においては、そのやうな姿勢を「客觀的」とか「科學的」とか言ひます。何のことはない、ただ單にイデオロギーに支配されて心眼が曇ってしまっただけなのですが、學者たちの方は、科學的に學問をしてゐると信じこんでをります。滑稽です。






  先入觀をすててわが國の現實をみれば、君民のあひだに對立なんぞあるわけがないのです。もっとも、社會主義者のなかにはその點に氣づいた人もをります。詳しくは、梅澤昇平『皇室を戴く社会主義』(展転社)を御參照ください。


  戰前における共産黨の最高幹部であった佐野學・鍋山貞親は、當局に檢擧されたあと、獄中で《轉向》を表明しました。昭和8年6月のことです。その聲明の始めを紹介します。


「本來、君主制の打倒はブルジョア・デモクラシーの思想であり、社會主義革命の目標ではない。のみならず、日本の天皇制はツァーリズムなどとは異なって、抑壓搾取の權力たることはなかった。


  皇室は民族統一の表現であり、國内階級對立の兇暴性をすくなくし、社會生活の均衡をもたらし、その社會の變革期にさいし階級的交替を圓滑ならしめてきた。それは明治維新において日本社會の進歩を阻んでゐた幕府政權を打倒し、新たな統一日本建設運動の中心的役割を演じたのに見られたごとく、歴史の齒車を進歩せしめるものである。


  人民大衆は皇室にたいし、尊敬とともに親和の感情をもってゐる。日本民族を血族的な一大集團と感じ、その頭部が皇室であるといふ本然的感覺がある。かかる自然の情は現在のどこの國の君主制の下にもおそらく見出されまい。日本の皇室は謂はばそれほどに人民的性質がある。


  國民大衆が抱く皇室尊崇の念をあるがままに把握し、その歴史的根據をたづね、以て我々も國民の一員としてその立場に立つべきは當然である。天皇制打倒をスローガンとして共産黨は反人民的であり、それ故に大衆より游離した。


  革命の形態は各國の特殊性によって異なり、各國の傳統的、民族的、社會心理的因素を考慮に入れておこなはれなければならない。日本においては、皇室を戴いて一國社會主義革命をおこなふのが自然であり、また可能である。」


  社會主義革命ぜんたいの評價はさておき、すくなくとも君主制の打倒については、はっきりと否定してをります。それがイデオロギーにとらはれない、正しいものの見方です。


  『蟹工船』の著者である小林多喜二は、仁徳天皇のかの有名な逸話が大好きであったとききおよびます。母親にたびたび話してきかせてゐたのだとか。かれが憎んだのは民を搾取する資本家であり、官僚でありました。けっして天皇を憎んだわけではないのです。






さういふわけで、江戸時代以前はもとより、明治以降においても、皇室を打倒すべきだといふ動きはかなり弱かったのです。つまり、君民對立はありませんでした。對立があるとすれば、民と政治家・官僚・資本家との間にであって、皇室とは敬愛の情でむすばれてをりました。尊皇家としても知られる出光佐三も、官僚や大資本家連中とはさかんに戰ひました。


  君民關係にだけは、對立は存在いたしません。それゆゑ、わが國には始めから君主主權もなければ國民主權もないのです。君民一體ですから、わざわざ君主と人民とにわけて、どちらに主權があるかといふ問ひをたてる必要が、そもそもありません。
(つづく)




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