
人気ブログランキングへ
けふは、それまでの話とはうってかはって、暦(こよみ)の御話をいたします。
本ブログは、時事問題ブログでありますから、暦は守備範圍外のやうにみえますけれど、けふは、七夕ですよね。けふだからこそ、考へていただきたいことがあるのです。その意味において、暦の話も《時事問題》の範疇をでないと、わたくしは勝手におもってをります。
さういふわけで、これから折にふれ、暦の御話もしてまゐりますから、樂しみになさってください。
なほ、本ブログにおいては、正字正假名遣で表記してゐます。なぜ、わざわざ讀みづらくて難しい表記をするのか? その理由を御知りになりたいかたは、わがウェブサイト(クリックすると、ジャンプします。)に御越しください。わけを、おしらせいたします。
或いは、この本を御讀みください。さすれば、この問題について、關心をおもちになり、知識・教養をふかめることができます。文庫ながら、じつにすばらしい本です。
私の国語教室 (文春文庫)/文藝春秋

¥650
Amazon.co.jp
七夕は、《たなばた》と讀みますけれど、もともとは五節句のひとつであり、《しちせき》と讀んでをりました。
なほ、五節句は、①人日(ジンジツ)、②上巳(ジョウシ)、③端午(タンゴ)、④七夕(シチセキ)、⑤重陽(チョウヨウ)、の5つでございます。
七夕は、《太陰暦7月7日》の夕方におこなふ行事です。その行事の由來は、2つあります。ともに、シナ起源のものです。
ひとつは、みなさま御存じの、「織姫(おりひめ)・彦星(ひこぼし)の傳説」でございます。
《織姫》とは、織女(ショクジョ)、はたを織る婦人のこと。棚織女(たなばたつめ)とも申します。この《つ》とは、《~の》をあらはす助詞。「天つ神(あまつかみ)」「國つ神(くにつかみ)」の《つ》です。《め》とは、女の人のこと。
《彦星》とは、牽牛(ケンギュウ)、牛を牽く男のこと。
一年に一度、7月7日の夜にだけ、織姫と彦星が天の川をはさんで、つかの間の逢瀬を樂しむ。さういふシナの古い傳説が、日本にも傳はりました。
由來のもうひとつは、女子がならひごとの上達を御祈りする、といふものです。
乞巧奠(キコウデン・キッコウデン)と呼びます。《奠(おそなへもの)》をささげ、裁縫・手藝・習字・音樂などが《巧く(うまく)》なりますやうにと、《乞ふ(こふ)》こと。
シナの風習ではありますが、わが國にも同じやうな風習があったらしうございます。それら2つが摺合・合體して、ひろくおこなはれるに至りました。《裁縫》がはひってゐるところに、《織姫・彦星の傳説》との共通點を、みいだすことができませう。
8世紀後半にできた『萬葉集』に、はやくも七夕の歌がたくさん收められてゐます。かなり古い時期から、七夕の行事がおこなはれたやうです。ただし、はじめは上流階級のなかだけでした。たとへば、平安時代あたりの貴族の日記をよむと、朝廷で《乞巧奠》の行事をおこなったといふ、記事がございます。そして、やがては庶民にもひろまり、遲くとも江戸時代までには、定着いたしました。
ここまでが、七夕の行事の由來でございます。が、なにも由來の御紹介をしたくて、本記事を書くのではありません。申上げたいことは、この後にあります。
けふの、或いは前後3日ほどの、夜の星空を御調べになってください。星が見えますでせうか? 見えたとして、幾日みえるでせうか?
ただいまは、梅雨の季節でございます。梅雨、まっただなか。曇り・雨になって當り前の季節です。そんな時期に、星空をみあげて行事をおこなふ。「なんかへんだぞ。」と、御感じになりませんか。じっさい、へんなのです。
昔の人もみな、曇り空・雨天のときに、七夕をおこなったのでせうか。いいえ、そんなわけがありません。古人は、そのやうに季節感のないことは、やらないのです。
それでは、なぜそんな妙なことになったのか? そのわけは、明治維新に斷行された《改暦》にあります。
明治維新とは、江戸時代におこなはれてきたことを破壞する時代でありました。「舊弊御一新」といふスローガンからもわかるとほり、ふるいこと=わるいこと、とみなされたのです。御一新の一貫として、改暦がなされました。
改暦でどうなったかといふと、それまでの《太陰暦》をすてさり、《太陽暦》にあらためたのです。
太陰暦とは、月の滿ち缺けにもとづいてつくられる暦であり、東アジア起源の暦です。太陽暦とは、太陽の運行をもとにつくられる暦であり、西洋起源の暦です。
さきほど、御一新のために改暦された、と申上げましたが、じつのところは、そんなカッコイイものではありませんでした。改暦の動機は、もっとなまなましいものだったのです。
改暦は、明治6年におこなはれました。そのころ、新政府の權力をにぎってゐたのは大隈重信でございます。岩倉具視使節團が、歐米諸國を歴訪してゐた都合で、三條實美・大久保利通・木戸孝允・伊藤博文等、おもだった面々が外遊してをりました。その留守を預かったのが、大隈重信といふわけです。
大隈は、改暦の20餘年後に、『大隈伯昔日譚』(立憲改新黨・黨報局、明治28年)を發行いたしました。そのなかに、改暦の經緯をのべた箇所がございます。それによると、改暦の理由は3つ。
①太陰暦をつくってきた伊勢神宮の神官の、既得權益を剥奪するため。
②明治新政府のフトコロぐあひが、とてもきびしかったため。
③官吏の休日が、一の位1、6の日で、週休制の歐米諸國と休みの日があはず、外交上不便であったため。
その3つのうち、①は、大隈の誤解によるものです。(詳細は、割愛いたします。)③は、改暦しなくとも達成できる理由です。したがって、最大の理由は、②にあります。
ここでみなさまは、
「政府の財政事情と暦とは、關係がないのではないか?」
と、御考へになったやもしれません。が、それがおほいに關係あるのです。
改暦されるその翌年に、太陰暦においては、閏月がございました。
閏月とは、19年間に7度、插入されるひと月のこと。今年なら、4月21日からが《閏3月》でした。閏月が插入される年は、《1年=13ヶ月》になってしまひます。
明治新政府は、月給制をとってをりましたから、その年は、一年に13囘、官吏に給料を支拂はなければなりません。その事態が、半年後にせまってゐたのです。
そこで、大隈は、妙案をおもひつき、實行にうつすことにしました。《太陰暦》明治5年を、12月2日までとし、翌日12月3日を《太陽暦》明治6年1月1日としたのです。そして、明治5年12月の給料は、「わづか2日しかないのだから。」と、拂はないことに決めました。
結果として、半年後の閏月と、明治5年12月との、ふた月分の給料を、カットできたといふわけです。
おわかりのやうに、改暦は、
「舊暦(太陰暦)より新暦(太陽暦)のはうが、すぐれてゐるから、精確であるから。」
といふ理由でおこなはれたわけではないのです。つまりは、給料カット・歳出削減のための改暦であったのです。そのやうな理由で、文化的影響も大きい改暦をすべきではなかった。
が、百歩ゆづって、改暦を容認するとしても、政治・經濟とは關係のない、文化的生活にまで、太陽暦をあてはめるのは、いかがなものでせうか? といふのは、いまのわれわれは、平氣でそれをしてゐるのですよ。
なぜ、曇りや雨の多い季節に、七夕をしなければならないのか。ここは、「をかしい!」と聲をあげなければならぬところです。原發のときのやうに・・・・・・。
主體的に「七夕をする。」といふよりは、「七夕をさせられてゐる。」と表現した方がピッタリでございます。
と言って、「西洋人にあはせて七夕をする。」わけでもありません。明らかなごとく、西洋に《七夕》の習慣はございません。換言すれば、西洋起源の太陽暦(いまの暦)に、《七夕》の文字はいっさいないのです。
ですから、いまの暦で、7月7日に七夕をするのは、まったく根據がないのです。それは、7月7日に正月の御祝ひをする根據がないのと、まったく同じでございます。そんな奇妙な行事は、やめにしてもらひたいものです。
と言って、いまさら「太陰暦に戻せ。」とは、さすがに申しません。一年が12ヶ月だったり13ヶ月だったりするのは、やはり困りますし、外國との取引にも、差し障りがございますから・・・・・・。
わたくしの提言は、つぎのとほりです。
「改暦をしたのは、もっぱら政治的・經濟的動機によるものである。したがって、政治的・經濟的・公的な生活リズムには、今後も、太陽暦をもちゐる。しかし、文化的・家族的・私的な生活は、政治や經濟とは無關係である。それゆゑに、文化的・家族的・私的な生活リズムには、太陰暦をもちゐる。」
すなはち、七夕をはじめとする文化的行事は、太陰暦によって日をきめるのです。正月も、それに含まれます。
ところで、わたくしは、中華人民共和國があまり好きではありません。が、さうであっても、正月を太陰暦によって祝ふことにしてゐるのは、非常に賢明だとおもひます。(爆竹はいやだけれど。)
ビジネスは、たしかに大切でございますが、
「ビジネスの他に、大切なものは何もない。」
といふ考へは、いかかなものでせうか。みなさま、それぞれ御考へになってください。
今年の《太陰暦7月7日》は、8月24日でございます。その時期なら、梅雨はとうに明けてをります。やや涼しくなりはじめ、蟲のこゑがきこえます。空は秋めいて、空氣が澄んでまゐります。星空觀察には、うってつけの季節です。
みなさま、御持ちのカレンダーの、8月24日のところに印をつけ、その日がきたら、あらためて七夕をやりなほしませう。それこそ、われわれの御先祖たちが七夕をおこなってきた日なのですから。古人の氣持に、よりそってみませんか。
わたくしは、自稱《眞正保守主義者》でございますけれど、本當の保守とは、このやうなところから出發しなければならないのではないかと、つねづねおもひます。
保守のかたがた、よろしく御檢討いただきたく、御願申上げます。
(本篇 終)
コメント・質問等、どんどん御寄せください。「この字、よめないんだけど?」といふものでも、かまひません。よろこんで、御答へいたします。
ここで、參考にした本の御紹介です。世の中には、この本のほかにも、すばらしい本がたくさんあります。すばらしい先生が、たくさんいらっしゃいます。御自分の目でおさがしになり、いろいろ讀んでみられることを、ここでつよくおすすめいたします。
本を讀みはじめると、自分の視野がいかにせまかったか、自分の考へがいかにあさかったか、がわかります。《井の中の蛙》が、《大海を知り、泳ぎはじめた》瞬間です。ひとり(一匹)でも多くの《井蛙》に、《大海を知って、泳ぎはじめて》ほしい。本ブログのタイトル「井蛙(せいあ)、大海を泳ぐ。」は、そのやうな願ひをこめて、かかげました。
旧暦読本―現代に生きる「こよみ」の知恵/創元社

¥2,100
Amazon.co.jp
明治改暦―「時」の文明開化/大修館書店

¥2,940
Amazon.co.jp
最後まで讀んでくださり、ほんたうにありがたうございます。「8月24日に、七夕をやりなほさう!」と御おもひになったかたは、ぜひ、《人氣ブログランキング》に清き一票を、よろしく御頼み申上げます。

人気ブログランキングへ