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けふは、きのふの記事の補足をしながら、電力需給の實態を、明らかにしてみます。
結論を先取りすると、一言、
「みなさん、廣瀬隆氏の本を讀まう!」
です(笑)。
なほ、本ブログにおいては、正字正假名遣で表記してゐます。なぜ、わざわざ讀みづらくて難しい表記をするのか? その理由を御知りになりたいかたは、わがウェブサイト(クリックすると、ジャンプします。)に御越しください。わけを、おしらせいたします。
或いは、この本を御讀みください。さすれば、この問題について、關心をおもちになり、知識・教養をふかめることができます。文庫ながら、じつにすばらしい本です。
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きのふは、大飯原子力發電所3號機が、再稼働をした日といふことで、脱原發派《敗北》の原因を考へました。その最大の原因が、
「原發の《かはり》に自然エネルギーをもってきて、産業界を敵にまはしたこと。」
にあると、わたくしは結論づけました。
ここで、すこし補足させてください。きのふの記事において、
「脱原發派にとって、最大の《御客さま》は、電氣をつかふ産業界である。」
と、指摘いたしました。なぜ、そのやうに決められるのか、御話し申上げます。
ちかごろの原發論爭の焦點は、
「電力の安定供給が、できるかどうか。」
といふ、エネルギー問題でございます。原發維持派が、
「原發を動かさなければ、電氣が足りず、停電してしまふ。だから、動かすのだ。」
と、さかんに宣傳してゐるためです。
電力供給が問題になってゐるといふことは、その問題の利害關係者は、①電力會社(電力供給サイド)、②産業界・家庭(電力需要サイド)、のふたつ。①はさておき、②の方をさらに考へてみませう。
家庭より産業界の方が、たくさん電氣をつかふといふことは、みなさま御存じのとほりです。平均すれば、およそ60:40(産業界:家庭)。その數字のみをみれば、あまり差がなく、拮抗してゐます。さうなると、産業界は、さほど重要な《御客さま》ではないではないかと、反問なさる方もをられませう。が、産業界は、依然として重要な《御客さま》なのです。
電力の安定供給が眞におびやかされるのは、眞夏(8月)の數日間、もっとも多い年でも20日間。それも、眞晝どきのみです。しっかり分析すべきは、その時期のその時間帶のみであって、他は、あまり考へる必要がありません。他の時間帶には、安定供給が、確實にできるわけですから・・・・・・。(http://pds.exblog.jp/pds/1/201103/15/26/f0126826_7173434.jpgより轉載。本圖は、廣瀬隆氏の書籍にある圖と、同樣。)

平日は、みな學校なり職場なりに出かけるので、日中、家は留守になります。現代においては、核家族化・夫婦勞働者化(共働き化)が、とくに進行してゐます。つまり、平日の日中は、無人の家が多くなるのです。無人ですから、電氣をさほど消費しません。たかだか、冷藏庫がうごいてゐる程度で、テレビ・電燈・エアコン(冷房)は、スイッチすらはひりません。それにもかかはらず、眞夏の日中に、電力需給が逼迫するのは、なぜでせうか?
おわかりのごとく、産業界が、その時間帶にフル稼働するためです。ただし、この産業界とは、工場を經營する企業だけを、意味するわけではありません。百貨店・スーパー・個人商店のたぐひは、店内を涼しくするために、冷房をガンガンうごかします。高層ビルでは、階ごと・部屋ごとに冷房をつけます。オフィスをもたない企業はございませんから、ここで言ふ産業界とは、企業すべてを指すのです。さらに、學校する運營する法人も、ここに這入ります。《教育産業》と考へれば、かれらも産業界の一員です。
店鋪・オフィス・教室にあるエアコンを、一度しみじみと御覽になってください。とても巨大で、涼しい風がドンドン送られてきます。いったい、どのくらゐ電氣をつかふのでせうか。その巨大なやつが、街でいくつも稼働してゐるのです。
もちろん、企業活動をするときは、エアコン以外にも電氣をつかひます。
眞夏に電力需給を逼迫させる《犯人》、眞夏に停電をおこさせる《犯人》は、産業界なのです。その證據に、8月の御盆休み中は、電力にゆとりが生まれますね。企業活動が休みにはひるからです。
《犯人》などといふ、人聞きのわるい言葉をつかひましたけれど、けっしてとがめてゐるのではありません。ここで指摘したいのは、かういふ等式です。
眞夏に停電をおこさせる《犯人》
=その時間帶に、たくさん電氣をつかふ人々
=停電になると、もっとも困る人々
いかがですか。産業界:家庭=60:40といふ比率以上に、産業界の電力需給における立場は、重要なのでございます。脱原發派にとっての《重要な御客樣》の意味が、おわかりいただけるとおもひます。脱原發派が「原發をうごかさなくても、大丈夫。」と説得すべきは、じつに産業界《のみ》と言っても、過言ではありません。
さて、次に、大飯戰線での脱原發派《敗北》の、その他の要因を考へてみませう。
まづ、原發原理主義者の《願望のつよさ》が、あげられます。かれらには、非常につよい危機感が、あったはずです。
「何としても、この夏、原發をうごかさにゃならん!」
と、悲壯な決意をかためてゐたはずなのです。
この夏に、大飯原發が再稼働せず、ほかの原發もうごかなかったと假定して、いかなる事態が想定しうるでせうか? たぶん、このやうな輿論がわきたちますね。
「眞夏といふ、もっとも電氣を消費する時期を、原發なしでのりきった。しかも、原發依存度がたかい關西電力でさへ、それができたのだ。もはやこの先、日本全國において、原發をうごかす必要はない。さっそく、廢爐のプロセスに、とりかからう!」
さうなっては、原發原理主義者の完全敗北です。その事態だけは、避けなければなりません。首の皮一枚でも、のこさなければならない。
「何としても、1基だけは動かさなければ!」
と、岩をも貫く執念でもって、大飯原發再稼働に、つきすすんだのではないでせうか。かれらの現状認識は、まったくもって正しうございます。冷徹なリアリスト集團です。
なほ、脱原發が、電力會社の經營惡化につながるといふことも、原發原理主義者の危機感のうちに、含めてかまはないでせう。
一方、脱原發派の方は、あひもかはらず、のほほんと自然エネルギー禮讚にうかれてゐました。ファンタジーにうつつをぬかしてゐた。その隙を、嚴格なリアリストである原發原理主義者につかれ、まんまと大飯といふ《油揚》をさらはれたわけです。風は、脱原發派に味方してをりますが、油斷をすると、このやうに負けてしまひます。油斷大敵の、いい例です。
最後に、われわれ脱原發派は、どのやうに産業界を説得すべきなのでせうか?
まづ、①原發にそもそも《かはり》はいらない、と主張する事が、第一ですね。藤田祐幸氏作成の圖(http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201103/13/26/f0126826_23352815.jpgより轉載。*前圖同樣、廣瀬氏の本に記載。)をみると、そのことが一目瞭然です。最大電力消費量が、火力發電能力+水力發電能力を上囘ったことは、いまだかつてありません。つまり、原發をゼロにしても、電氣は足りるのです。
最大電力消費量<火力發電能力+水力發電能力

各電力會社別の發電能力をみても、關西電力でさへ、餘力が3,4%あるのです。
「原發をとめると、電氣が足りなくなって、停電する!」
は、産業界をだますためについた、嘘であります。
次に、②それでも不安な人々のために、最新技術による發電システムを、紹介してあげればよいのです。
とどのつまり、本記事の結論は、
「廣瀬隆さんの本を、産業界の人々に紹介してあげよう。」
といふことです。それさへあれば、わたくしの駄文も、必要ありません。
ただし、その廣瀬氏、なぜか評判がよくありません。一部の人々に、嫌はれてゐるやうです。素人(作家)扱ひしてもゐるみたいですが、福島原發の事故(ほとんど《事件》と言ってよい。)は、プロの方々におまかせしてゐたから、發生したのではありませんか。
氏をもっと登用すれば、世の中、さらによくなるのにね。
(本篇 終)
ここで、參考にした本の御紹介です。世の中には、この本のほかにも、すばらしい本がたくさんあります。すばらしい先生が、たくさんいらっしゃいます。御自分の目でおさがしになり、いろいろ讀んでみられることを、ここでつよくおすすめいたします。
本を讀みはじめると、自分の視野がいかにせまかったか、自分の考へがいかにあさかったか、がわかります。《井の中の蛙》が、《大海を知り、泳ぎはじめた》瞬間です。ひとり(一匹)でも多くの《井蛙》に、《大海を知って、泳ぎはじめて》ほしい。本ブログのタイトル「井蛙(せいあ)、大海を泳ぐ。」は、そのやうな願ひをこめて、かかげました。
新エネルギーが世界を変える―原子力産業の終焉/NHK出版

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わたくしの文章を、最後まで讀んでくださり、ほんたうにありがたうございます。「さっそく、廣瀬隆さんの本を讀むぞ!」と御おもひになったかたは、ぜひ、《人氣ブログランキング》に清き一票を、よろしく御頼み申上げます。

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