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髀肉の嘆

iPhone、Mac、三国志(中国古代の歴史&コーエーのゲームソフト)ネタを中心に、思ったことを勝手に書きます。

「孫子」冒頭の計篇には、次のようにある。


1主、孰(いず)れか有道なる、
2将、孰れか有能なる、
3天地、孰れか得たる、
4法令、孰れか行わる、
5兵衆、孰れか強き、
6士卒、孰れか練(なら)いたる、
7賞罰、孰れか明らかなる、と。
吾、此れを以て勝負を知る。


〈口語訳〉
君主はどちらのほうが道を体得しているか、
将軍はどちらのほうが有能であるか、
天の時と地の勢はどちらの有利であるか、
法令はどちらのほうが徹底して行なわれているか、
軍隊はどちらが強いか、
兵士はどちが訓練されているか、
賞罰はどちらが公正に行なわれているか、
の七つである。
わたしはこれらのことから戦わずして勝敗を知るのである。

(中央公論社『世界の名著10諸子百家』「孫子」から)

曹操や諸葛亮ら三国志の主だった者たちが熟読していたであろう孫子。
確かに、この7つのすべてにおいて片方がすぐれていたならば、勝敗は明確に分かったであろう。
聞けば当たり前だと思い、誰もが納得すること。それをあえて文章にして残した孫子は偉いと思う。

『墨子』から。

「意を得るも賢士は挙げざるべからず、意を得ざるも賢士は挙げざるべからず」

(自分の思い通りにいっている時にも、すぐれた士人は登用しなければならない。自分の思い通りにいかない時にも、すぐれた士人は登用しなければならない)
『クライマーズ・ハイ』(横山秀夫、文春文庫)

生々しく、また考えさせる物語。
文章も綺麗で分かりやすい。
実は、横山秀夫先生の本は初めて読んだ。素晴らしい作家だと思った。他にどのような作品があるか不勉強で知らないが、これが秀作であることは間違いないだろう。
テレビで見た人もいると思うが、本のほうが味わい深いので、お薦めしたい。

舞台は、日航機墜落事故の直後の群馬。群馬の地元紙で日航機事件全権デスクとなった40歳の男が主人公だ。

信頼する部下の記者が書いた渾身の現場レポートが、社の幹部の思惑で潰される。編集部門と販売部門の確執。その争いの奥には社長派と専務派の暗闘があったりもする。実に生々しい。

マスコミの限界も描かれている。日航機事故で死んだ人の命と、誰にも注目されずに亡くなっていく人の命の重さに違いはあるのか。違いがないという建前はあるにせよ、報道の現場では間違いなく、記者や編集者が選択している。重いものだけを報道し、軽いものには目もくれない。記事の扱いの大小にそれが表れる。

そうした葛藤を、ただの批評だけではなく、現実に悩み戦う姿として描いている。描かれたその姿が、本書でえぐり出された様々な問題への、横山先生の答えなのではないかと感じた。

最後のほうにあった次の文章を転記しておきたい。

 下りるために登るんさ--。
 安西の言葉は今も耳にある。だが、下りずに過ごす人生だって捨てたものではないと思う。生まれてから死ぬまで懸命に走り続ける。転んでも、傷ついても、たとえ敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。人の幸せとは、案外そんな道々出会うものではないだろうか。クライマーズ・ハイ。一心に上を見上げ、脇目も振らずにただひたすら登り続ける。そんな一生を送れたらいいと思うようになった。

映画「2012」の中で出てきた言葉。

人間が互いのために戦うのをやめたら、その時、我々は人間性を失う。

The moment we stop fighting for each other, that's the moment we lose our humanity.
映画「The World Fastest Indian」の中で、主人公のバート・モンローが、最近読んだ本の内容として語った、合衆国第26代大統領セオドア・ルーズベルトの言葉があった。

The Man in the Arena

という講演に出てきた言葉らしいので、同じ名前の本を買ってしまった。

この本は、セオドア・ルーズベルトの文章を集めたものだ。
タイトルの文章は、冒頭に出ていた。

なぜ、この本を編集しようと思ったのか。編者の言葉が綴られていた。

編者の親友が9.11のテロで亡くなった。
ニューヨーク消防署の隊長だったらしいが、救助活動のさなかに散った。
彼のポケットには、セオドア・ルーズベルトの、くだんの言葉が書かれたメモが入っていたという。
そこから編者は着想を得て、この本を編んだという。

“It is not the critic who counts; not the man who points out how the strong man stumbles, or where the doer of deeds could have done them better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood, who strives valiantly; who errs and comes short again and again; because there is not effort without error and shortcomings; but who does actually strive to do the deed; who knows the great enthusiasm, the great devotion, who spends himself in a worthy cause, who at the best knows in the end the triumph of high achievement and who at the worst, if he fails, at least he fails while daring greatly. So that his place shall never be with those cold and timid souls who know neither victory nor defeat.”

私の拙い訳で、日本語にしてみると、こんなかんじだ。
(意味が違っていたら、ご指摘ください)

批評家が重要なのではない。強い男がいかによろけ、あるいは何処でやればより良かったのか。そんなことを指摘する人物でもない。賞賛に値するのは、実際にアリーナに立ち、埃、汗、血のついた顔をしていても、果敢に挑戦し、何度失敗しても立ち上がる人物である。失敗のない努力などないがゆえに、果敢に物事を実行に移す人物である。情熱的で、献身的で、価値あるものに打ち込む人物である。成功すれば、高い達成感と勝利の喜びを知り、またたとえ失敗しても、偉大なものに挑戦しているんだと考える人物である。その人物が立つ場所は、勝利も挫折を知ることのない、冷たく、じめじめした魂に汚されることは決してない。
もう今から20時間くらい前になってしまったが、今朝午前4時半。暗いうちから、近所の畑を歩いたら星が綺麗だった。

iPhoneのStar Walk
というアプリでみたら、こんな星が出ていることが分かった。

髀肉の嘆

髀肉の嘆

オリオン座が西の空に、まもなく沈むという時。
また、火星が東の空に、皓々と輝いている時だった。

早起きも捨てたものではない。
ひどい憎しみの傷がこんなにも深く食い込んでいる場合には真の和解は生じない

アメリカの思想家トーマス・ペインが『コモン・センス』で引用している、英国の詩人ミルトンの言葉。
脳科学者・茂木健一郎のブログを読んだ。
海老蔵の舞台を見た感想などが書かれていた。海老蔵のことをマスコミでは「希代のモテ男」としてやっかみで報道している部分が多い。そのことを軽く指摘し、海老蔵が持つ生活の足場に目を向けて考えようというものだ。http://bit.ly/eGWvTf

生活の足場を誰しも持っている。もがき、苦しみ、なんとか生きている。一流の人間ならば尚更だ。昨日、つぶやいたセオドア・ルーズベルトの言葉にも通じている。

茂木先生のいうことも最もだと思う。
そもそも、人格的に「申し分ない」とえるマスコミ人は意外と少ない。
「なんだ、こんな奴が書いてるのか?」とがっかりすることのほうが多い。

ひーパパのつぶやき

若いチンピライソギンチャクみたいなレポーターが「どうなんですか?」「答えて下さい!」と馬鹿みたいに叫んでいるのも、テレビでよく見るでしょう。

市川団十郎さんに向かって
「海老蔵さんの様子は? どうなんですか! 市川さん!」
なんてシャウトしているレポーター。
「じゃあレポーターさん、あんたは、何なんだ? あんたこそどうなんだ?」
と聞きたくなる。

国民の知る権利のため。
だから聞く。根掘り葉掘り。
自分の興味のあることだけ。

もっと奥深い芸術のことや、海老蔵が恐らくは経験してきたであろう、想像を絶する稽古、よい部分を、いったい何人のレポーターが聞き、放送したか。
はっきりいって皆無だ。

仏典には、
大河を流れる水を
餓鬼は火と見る
人は水と見る
そして天人は甘露と見る
と書かれている。

同じ水でも、見る人によって違って見えるということだ。
同じ人物であっても、同じ事件であっても、人によって気になる観点が違う。
ただ、そもそもの先入観というか前提条件がマスコミにもたらされる偏った情報によって形成されているのだから、結局は、マスコミの言いなり、ということにならないだろうか。

怖いことだ。

そうそう、昨日つぶやいたというセオドア・ルーズベルトの言葉。
映画「ワールド・ファーステスト・インディア」で主人公が紹介した言葉で気になったので調べた。
どこかのサイトのコピペですが、

The Man in Arena

という題名の演説の一説だそうだ。
私の拙訳で書くと原文を汚してしまいそうなので、そのまま原文を載せておきます。

“It is not the critic who counts; not the man who points out how the strong man stumbles, or where the doer of deeds could have done them better. The credit belongs to the man who is actually in the arena, whose face is marred by dust and sweat and blood, who strives valiantly; who errs and comes short again and again; because there is not effort without error and shortcomings; but who does actually strive to do the deed; who knows the great enthusiasm, the great devotion, who spends himself in a worthy cause, who at the best knows in the end the triumph of high achievement and who at the worst, if he fails, at least he fails while daring greatly. So that his place shall never be with those cold and timid souls who know neither victory nor defeat.”
中国古代史好きの先輩から、

宮城谷昌光の三国志

けっこう、いいぞ!

と聞かされた。

やっぱ、いいですか?

なんかTwitterみたいな内容ですいません。



iPhoneからの投稿
仙谷長官が週刊新潮の記事で名誉を傷つけられたとして新潮社を提訴した。

新潮側は「記事は正確な取材に基づいている。提訴は、自由な言論、報道に対する不適切な圧力だ」とコメントしている。

一方、仙石長官は北海道の補選の敗北に際して、「あの選挙区は、産経新聞の影響力が強いということかもしれない」と、犬の遠吠えというか、負け惜しみを。こんなこということ自体、みっともないことだが、新潮の提訴と並べると別の問題も見えてくる。

週刊新潮といえば、デマや人権侵害の記事が目立つ俗悪雑誌である。
仙石氏についての記事がどうかは知らない。
本当にガセネタかも知れない。
だが「産経の影響力が強い選挙区」などと発言しているようでは、新潮側がいう「不適切な圧力」というのも、急に説得力があるように感じられるから不思議だ。

仙石さん、これもまた「不適切な発言」では?