自分の中で、もはや暴力男とのこと・・・自分が受けたDVや暴言というのはある程度受容出来るようになった、と思ってた。


だけど。


先日新聞で、私の住んでる地域でとある会合を開く、という記事を見た。
60才すぎのおばさまが、DV経験者に「集まって、みんなでココロの中で思っていることを話しましょう」という、アルコール依存症でいう、断酒会みたいなものを開く、というもの。


いい事だと思う。


なのに、私はその記事を読んで、動揺してしまった・・・。



私が経験したことは、別に恥ずかしいことではない、と理性では思うのだけれど、なんていうか上記のような集まりに出て、話すことを想像したら、・・・どういう言葉が適切なのか判らないんだけど、とにかく「キツイ」と思った。
で。
「キツイ」と思った自分に驚き、情けなく思ったわけだ。


どんだけ前のことだよ?
夫も理解してくれているし、カウンセリングも受けているのに、「キツイ」と感じるなんて、どうして?
未だ「暴力男から結局離れられないっていうのは、悲劇のヒロインぶってるんじゃないのぉ?」と言われたり、思われたりしているこの病的な関係に、理解を求めるのはなかなかムツカシイ(夫クンに「もし、私がDV被害者じゃなかったら、↑のように結論つけた?」と聞いたら「・・・うーん、そうだなー」と言ってた。仕方ないかぁ、と思う)。

そんな世間の中で、自分の想いの丈を話す場を作るのは、とても大事だと思うし、会をつくると声をあげた人に対して、尊敬さえ覚える。

だけど、まだ私はほかの人に話すことが出来ない。
話すことで、自分、そしてみんなで分かち合って助け合おう、とは・・・思えない。

そういう自分の想いが頭の中に出てきたことに驚いた。

自分ではある程度、客観的に過去のことを捉えられるようになった、と思っていたのに、実は出来ていなかったのか、と情けなく思った。


だって、客観的に見られていれば、たとえ傷が疼こうとお互いを救うために、会合に行けるはずだもの。
でも。
今の私には行けない。
考えただけで足が竦む。


情けないことに、自分のことで一杯一杯だ、というわけだ。

なんという体たらく・・・。


全然成長していない自分に、ちょっと落ち込んでます・・・。


グチですね・・・今回の記事は。

こんな記事を読んで下さってありがとうございました<(_ _)>


それでは・・・ヾ(_ _。)


最初に…不愉快に思われる方が多いかもしれませんが、これはあくまで私の考えです。
ほかの人に押し付ける気なんて毛頭ありません。
不愉快に思われる方がいらっしゃったら、ご容赦下さい<(_ _)>

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ここ数週間で、うちの娘猫が歩けなくなってきた。

年齢からくる、衰えと猫に多いと言われる腎不全と思われる。

思われる、というのは病院に行っていないから。


私の(私たち夫婦の)この行為に憤りを感じる人がいるかもしれない。
どうして病院に連れていかないのか、と。


ここ数年、息子猫、母猫、と看取ってきた私は、たとえ病院で延命のための治療や薬をいただいたとしても、二匹とも回復、というよりは病院に行った翌日からストレスからと思われる下痢や嘔吐が逆に増えてしまっていたことに注目を置いた。

この、二匹を看取った私は、毎回自分に置き換えている。

最近のペットとの接し方に比べ、私の接し方は前時代的だと思われるだろう・・・。

が、私自身、もし私がなんらかの病に倒れた場合の医学による延命に意味を見い出せないこともあり、近い将来(明日かもしれない、もしくはもっと頑張るかもしれない。それを理解した上で)猫生を終えようとしてる娘猫に「少しでもラクになれるかも、長生き出来るかも」という気持ちで病院に連れていかなければ、とはどうしても考えられない。

生き物を飼ったのなら、最期までしっかり面倒をみる、というのは私も否定しているわけではない。
ただ、私が最近のペット飼いの人と違うのは、出来るだけ病院にかかりたくない、ということだけだ。

更にいえば、息子猫や母猫の時以上に娘猫は病院に行くこと(車に乗ることや知らない人に会うだけ)で、もの凄いストレスを覚えることを考慮しているわけだ。
(過去、娘猫も病院に行ってますが、数日下痢などが続いて、本来の病気は結局完治しなかった、という事実もあるのです)


今、娘猫はオムツをつけ、今朝出したばかりのコタツに潜り込んでる。



私は、具合が悪くなってきたこの数週間、ずっと娘猫に文字通り寄り添っている。
幸いなことに、私は不眠症なので、殆ど寝ずに。

既に尿毒症の症状も出ていて、腰に力も入らず、よろよろ歩くこのコの世話で一日が過ぎていく。

食欲はまだあるようなので、時には自分でエサをいつも置く場所によろよろ歩いてきたり、全く立つことが出来ない時は口元までエサを持っていったり、水を持っていったり・・・。


そして、何より娘猫の目が私に何かを訴えている。
何を?と尋ねないで・・・。
だけど、丸い目でじーっと私を見つめて、私の手に自分の頭をごちん、とぶつけて長い時間スリスリしてくる。満足するまで、スリスリと。
その行為を私は受け止めている。

そして、私が座っている場所に一生懸命やってきて、コテン、と横になり、私の手の指や腕を力強く娘猫は爪を立てて「動くな」と言っているかのように(実際そうかもしれません。私が手を離そうとすると、不満げに鳴きますから)意思表示をしてる。

だから…。


私の出来ることは、このコのそばにずっと居続けること。
寄り添うこと。



そうして、母猫や息子猫が先に行って待ってる虹の橋に行くまで、私は私なりの愛し方で看取る。


そうして・・・生き物ならば必ず来る「死」を当たり前に受け止めていこうと思っている。
(どうしても、・・・延命に意義を見いだせない私は、残酷な人間なのかもしれない。同じく夫も延命には意義を見い出せないと言っていて、今はまだ必要ないと思うけれど、遺言を今から書こうとしている。変な夫婦かもしれないな・・・)


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※冒頭に書いたことのくり返しですが、もう一度書いておきます。
 私のこの行為を不愉快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 あくまで、「私のやり方」であり、それをほかの方に押し付けるつもりはありません。



知り合いから携帯に電話か来てたのを気付かなかったから、家電に掛かってきたのをとっちゃった。

ら・・・。


俺っちすげーぜ、の兄貴だった。

で、俺っちすげー話を散々されて、こちとらおにゃのこの日でしんどいから早く切りたいのに(そういう風に話を持っていくのに)全然空気を読まず、だらだらだらだら・・・(`‐ω‐´)


結局1時間ほどだらだらくっちゃべっていきやがった。
内容?無いよ(#゚∀゚)b(さむっ^^;)
あ、こーいうトコ、母親に似てるや(;´Д`)


イヤなら即切ればいいじゃん、って話なんだけど、面倒くさいことに、俺っちすげー兄貴は「自分をないがしろにしたな」と少しでも【自分が思う】と、更に自分がどれだけ家族のためにすんばらしーことをしているかを私が納得するまで話そうとするから、とにかく流して流して話を聞くしかないんだよなぁ。


あーーーー、胃がキリキリキリ!

電話が終わったあと、子機を投げつけたくなったのは内緒でもなんでもないぞ、と。


ええ年絡げて、同じような愚痴を書いてしまう自分も情けない。


けど、だけど、これも今年で終わり。
(そう、今年でまぢ終わりなんだな)

あと少しの辛抱だ。


ため息で幸せを逃すなんてことはもうしないぞ!