最初に…不愉快に思われる方が多いかもしれませんが、これはあくまで私の考えです。
ほかの人に押し付ける気なんて毛頭ありません。
不愉快に思われる方がいらっしゃったら、ご容赦下さい<(_ _)>

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ここ数週間で、うちの娘猫が歩けなくなってきた。

年齢からくる、衰えと猫に多いと言われる腎不全と思われる。

思われる、というのは病院に行っていないから。


私の(私たち夫婦の)この行為に憤りを感じる人がいるかもしれない。
どうして病院に連れていかないのか、と。


ここ数年、息子猫、母猫、と看取ってきた私は、たとえ病院で延命のための治療や薬をいただいたとしても、二匹とも回復、というよりは病院に行った翌日からストレスからと思われる下痢や嘔吐が逆に増えてしまっていたことに注目を置いた。

この、二匹を看取った私は、毎回自分に置き換えている。

最近のペットとの接し方に比べ、私の接し方は前時代的だと思われるだろう・・・。

が、私自身、もし私がなんらかの病に倒れた場合の医学による延命に意味を見い出せないこともあり、近い将来(明日かもしれない、もしくはもっと頑張るかもしれない。それを理解した上で)猫生を終えようとしてる娘猫に「少しでもラクになれるかも、長生き出来るかも」という気持ちで病院に連れていかなければ、とはどうしても考えられない。

生き物を飼ったのなら、最期までしっかり面倒をみる、というのは私も否定しているわけではない。
ただ、私が最近のペット飼いの人と違うのは、出来るだけ病院にかかりたくない、ということだけだ。

更にいえば、息子猫や母猫の時以上に娘猫は病院に行くこと(車に乗ることや知らない人に会うだけ)で、もの凄いストレスを覚えることを考慮しているわけだ。
(過去、娘猫も病院に行ってますが、数日下痢などが続いて、本来の病気は結局完治しなかった、という事実もあるのです)


今、娘猫はオムツをつけ、今朝出したばかりのコタツに潜り込んでる。



私は、具合が悪くなってきたこの数週間、ずっと娘猫に文字通り寄り添っている。
幸いなことに、私は不眠症なので、殆ど寝ずに。

既に尿毒症の症状も出ていて、腰に力も入らず、よろよろ歩くこのコの世話で一日が過ぎていく。

食欲はまだあるようなので、時には自分でエサをいつも置く場所によろよろ歩いてきたり、全く立つことが出来ない時は口元までエサを持っていったり、水を持っていったり・・・。


そして、何より娘猫の目が私に何かを訴えている。
何を?と尋ねないで・・・。
だけど、丸い目でじーっと私を見つめて、私の手に自分の頭をごちん、とぶつけて長い時間スリスリしてくる。満足するまで、スリスリと。
その行為を私は受け止めている。

そして、私が座っている場所に一生懸命やってきて、コテン、と横になり、私の手の指や腕を力強く娘猫は爪を立てて「動くな」と言っているかのように(実際そうかもしれません。私が手を離そうとすると、不満げに鳴きますから)意思表示をしてる。

だから…。


私の出来ることは、このコのそばにずっと居続けること。
寄り添うこと。



そうして、母猫や息子猫が先に行って待ってる虹の橋に行くまで、私は私なりの愛し方で看取る。


そうして・・・生き物ならば必ず来る「死」を当たり前に受け止めていこうと思っている。
(どうしても、・・・延命に意義を見いだせない私は、残酷な人間なのかもしれない。同じく夫も延命には意義を見い出せないと言っていて、今はまだ必要ないと思うけれど、遺言を今から書こうとしている。変な夫婦かもしれないな・・・)


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※冒頭に書いたことのくり返しですが、もう一度書いておきます。
 私のこの行為を不愉快に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 あくまで、「私のやり方」であり、それをほかの方に押し付けるつもりはありません。