近所のミニシアター系映画館でターセム・シン監督の2006年の作品「落下の王国」の4Kリマスター版を鑑賞してきました。しかもヴィヴィアン佐藤さんの解説トーク付き!なのに割増料金でもなく一般入場料だけという太っ腹さ。



「落下の王国」は以前レンタルDVDで見たことがありましたが、やはり大画面で見てこその作品でした。もう色彩感覚が天才的過ぎる。勿論、石岡瑛子さんがデザインした衣装や世界中の世界遺産でのロケも見事ではあるのですが、それらを調和させ各シーンを絵画のようにまとめ上げた監督のセンスたるや。このような素晴らしい作品が、権利関係が複雑になったためにブルーレイもリリースされなければ配信もされないというほぼ幻の映画になっているのは多大なる文化的損失だと思います。

なお、ヴィヴィアン佐藤さんの解説トークで、本作は「千夜一夜物語」のオマージュではというくだりがあってなるほどなと思いました。「千夜一夜物語」はシェヘラザードがその日1日を生き延びるために夜伽で語った物語で、「落下の王国」は事故と失恋でヤケクソになった映画スタントマンのロイが、ヘロインのオーバードースで自殺するため偶然病院内で知り合った少女のアレキサンドリアに適当に語った物語ですが、最後にはやはり“生き延びるための物語”になる。つまり物語は人が生きるために生み出されるということなのではないでしょうか。

あとアレキサンドリアは、劇中で詳しくは語られませんが、ルーマニア移民でカリフォルニアでオレンジ畑をやっていたら(おそらく)反移民の暴徒に家を焼かれて父を殺され、自分はオレンジの木から落下して骨折し1人で入院中で、面会に来た母は英語を喋れないという無茶苦茶ハードな設定なのですが、その背景もまたさりげなく物語に織り込まれています。凄惨な設定は敢えてはっきりと描かず、物語にさりげなく反映させるという手法は上手く、物語は語り部だけでなくそれを聞く者のものでもあり、語り部と聞く者の双方に生きる力を与えるのではと思わされました。きっと物語は聞き者の背景やイメージ、その場の環境によって増幅されるということなのでしょう。

あとこれもヴィヴィアン佐藤さんのトークにありましたが、ロイは映画のスタントマンという、虚構の世界で既にいる俳優の代わりをやるという、要するに「名も無き人」で、ロイ以外の物語の登場人物も、農園のインド人労働者、病院の出入りの氷屋、病院職員、看護師、レントゲン技師、ロイの先輩スタントマン、入院患者の入れ歯の老人と名無しの市井の人ばかりで、唯一の有名スターがヴィランになっています。つまり「落下の王国」は名無しの人の物語であり、物語とは名無しの人に光を当てるものでもあるということなのかもしれません。

本作はターセム・シン監督の、映画を含む「物語」への敬意が込められた「物語讃歌」的作品なのでしょう。どうにか権利関係が整理され、多くの人が簡単に観られるようになって欲しいと思います。