非常によくできた豪華な「同人誌」でした。もう江戸川乱歩の「少年探偵団」シリーズのアンソロジー同人誌。本書は万城目学、湊かなえ、小路幸也、向井湘吾、藤谷治といった当代人気作家陣が明智小五郎と少年探偵団、および怪人二十面相をモチーフに書き下ろし作品を執筆したという構成で、装丁からも分かるとおり何から何まで徹頭徹尾「少年探偵団」シリーズそのまま。何が凄いって、舞台設定やモチーフのみならず語彙や文体までも全て江戸川乱歩の執筆当時を再現しているところ。それでいて当然5作品それぞれが異なった雰囲気を持っているのが面白く、読み進むほど「みんな江戸川乱歩が本当に好きなんだな~。もう骨の髄まで染み込んでるんだな。」と思わせられました。

 

中でも私が一番印象に残った作品は、ラストに収録された藤谷治の「解散二十面相」。犯罪をやらかしては明智小五郎と少年探偵団に暴かれ、逮捕されるものの逃げてまた犯罪…を延々と繰り返すマンネリ生活にすっかり飽きてしまった怪人二十面相が愚痴を垂れながら人間とは何か、人生とは何かを語るという、敢えて「謎解きと冒険」を外し実存主義をテーマにした作品でした。文中、怪人二十面相はこう語り無知と無気力が蔓延る世間を憂います。

 

「『なんか面白いこと、ないかなあ』-おれはこの言葉が、この世でいちばん許せんのだ。まるで『面白いこと』が、どこかに転がっているとでも思ってる。ふざけちゃいけない。面白いことっていうのは、自分で努力して作り出すものなんだ。ぼけーっとテレビを見ていたら、どっかのチャンネルで芸人が笑わせてくれる。そんな態度でぼけーっとしてたって、面白いことなんか決してありゃしないのだ。少年探偵団のやってることは、それとおんなじだよ。」

 

怪人二十面相は欲得ではなく、世間をあっと驚かせて騒がせてやりたいという自己顕示欲に駆られて犯罪をしている節がありますが、それすら繰り返すうちにただ世間に消費されるマンネリ化したコンテンツに成り下がってしまったことを悟り引退を決意します。それを、密かに彼の下っ端の手下に変装して潜り込んだ明智小五郎がこう言って引き留めます。

 

「マンネリは天才の勲章ですぜ。面白いもんで、マンネリにならねえもんなんかありゃしませんよ。同じことをトコトン突き詰めるからマンネリになるんでさあ。『三銃士』や『赤毛のアン』や『八犬伝』や、『男はつらいよ』『ウルトラマン』『水戸黄門』はいうにおよばず、ドフトエフスキーだってモーツァルトだってピカソだって、やってることをぜんぶ見てみりゃ、みんなマンネリじゃありませんか。親方様はそういう天才の仲間なんですよ」

 

かくして明智小五郎にまた一杯食わされた怪人二十面相は、またマンネリ化した怪盗と名探偵のイタチごっこに戻っていくのでした。

 

マンネリ化の葛藤はおそらく江戸川乱歩自身も陥ったでしょう。それでも人気に後押しされて膨大なシリーズ作を執筆し、それは今も愛され、こうして現代の作家にフィーチャーされています。作品世界にオリジナルの作者の心情も重ねるメタ構造の中、さらに藤谷治の人生観も織り込んだ巧みな構成でした。