16世紀に活躍した画家ピーテル・ブリューゲルを解説した教養書シリーズ「ふくろうの本」の一冊です。ピーテル・ブリューゲル本人は40代と若くして死去しましたが、その子供たち、孫たちも皆画家となり、「ブリューゲル」は150年に渡りブランド化しました。本書ではその初代であるピーテル・ブリューゲルの人生と描かれた主な作品を紹介しています。

 

ブリューゲルは農民の風俗画で有名ですが、キャリアは風刺画や宗教画から始まっており、また銅版画からグリザイユ、水彩画、油画と手法も多彩で、オールラウンダーな画家だったことが伺えます。

 

また、「次代のヒエロニムス・ボス」と当時から呼ばれていたらしく、細部まで細密に、かつユーモラスに描く作風は確かにヒエロニムス・ボス的です。これはよく宗教画の題材になる「聖アントニウスの誘惑」。聖アントニウスが荒野で信仰心を突き崩そうとする悪魔に襲われるという題材ですが、一体どういう頭をしていれば悪魔をこんな面白クリーチャーに描けるのでしょうか。恐ろしいというよりユーモラスで、鳥獣戯画や北斎漫画にも通じる漫画的表現も伺えます。

 

こちらは「最後の審判」ですが、地獄に落ちる人間と彼らを追い立てる悪魔の躍動感に満ちた描写がこれまた面白い作品です。こちらの悪魔も恐ろしいというよりは愛嬌があってユーモラスな感じ。

 

あとブリューゲル作品に共通する特長として「魚」が挙げられます。とにかく魚の描写がリアルで上手い!もしかしてブリューゲルは魚が好きな人だったのでしょうか。こちらは当時のネーデルラント地方の諺「大きな魚は小さな魚を食べる」をそのまま絵として表現した作品。この諺が意味するところは「食うか食われるか」「弱肉強食」で、生きる大変さを表現した風刺画だとされています。まさにDog eat dog(食うか食われるか)ならぬ「Fish eat fish」。グロテスクとユーモラスのちょうど中間の、絶妙なデフォルメ具合です、貝に食いつかれてびっくりしている大きな魚や、ヒレが後ろ脚になって陸に上がる魚、ヒレが翼になって空を飛ぶ魚などシュールレアリズム的な表現も見受けられます。

 

「ベルセルク」の三浦先生も絶対ブリューゲルに影響受けてるよなあ…と思う銅版画。タイトルは「正義」。大量に刷られ一般人向けに一枚いくらで売られていた銅版画であることを考えると絶対に風刺画だったでしょう。

 

 

 

ブリューゲルは農民の生活をよく題材に選んだため「農民画家」と言われています。その表現は実に生き生きとしており、農民の生活の中に実際に入り込み、彼らを理解していたのだと感じますが、その一方でどこか冷静に突き放したシニカルな目線も感じます。本書によれば、農民画は農民向けではなく都市生活者向けに販売されており、普段あまり知ることのできない農民の生活を垣間見ると共に、明らかに自分達より下の身分の人間の生活を「嘲り笑う」一種の娯楽としても機能していたのだとか。現代に例えるならDQNや貧乏人、くだらない有名人のリアリティショーを見てその醜態を楽しむようなものでしょうか。そうした顧客のニーズを捉えつつも、ブリューゲル本人の視点が風刺画や農民画に反映されていたのかもしれません。この「ホボケンの縁日」という、農村の地域のお祭りを描いた銅版画の銘文にはこうあります。

 

「農民たちはこうした祝祭を喜ぶ。踊って、跳ね回り、獣のように正体もなく泥酔する。彼らは縁日を守るに違いない。たとえ残る日々、飢え、凍え死ぬとしても」

 

つまり、縁日を開催する資源と時間を先々のことに回せば以後の生活も多少はマシになるだろうに…というわけです。しかし地元民にとって祭りは日常生活の”ハレの日”であり、それがあるからこそ日常生活を送る活力が生まれるとも考えられるわけで、はたしてブリューゲルが農民を姿をどう見ていたかは、今でも研究者の意見が分かれているとのこと。しかし本書を読んで彼の短い人生と共にその作品の変遷を見ると「どちらの視点もあった」のではないかと思います。人間の視点は一つではありません。農民を理解し、その生活の中に入り込んでいながらも、頭のどこかでは一歩下がって冷静に見ている。そうした、あくまでも外側から傍観しているような視点があったからこそ、ここまで細密に描けたのではないかと思えてきました。