「シュルレアリスム」を難解な表現技法ではなく「遊び」という側面から分析し作品を交えて解説している美術書です。サイズの小さい本でそんなに分厚くもなく、美術に詳しくない初心者に向けた軽い読み物かと思っていたのですが、これが短いながらも非常に読み応えのある内容で掘り出し物でした。
フィーチャーされているのはデュシャン、マン・レイ、エルンスト、マグリット、 ダリといったシュルレアリズムの旗手ともいえる当時を代表する海外のアーティストですが、瀧口修造をはじめとした日本のアーティストの作品もあるほか、シュヴァンクマイエルといった現代のアーティストまで広く浅く取り上げています。
シュルレアリズムというと、例としてマグリットやダリのような絵画作品が挙げられることが多いですが、その芸術活動自体は絵画、彫刻、コラージュ、写真、映像、詩と多岐に渡っており、その製作手法も複数人で集まりその場で思いついた言葉を出し合って組み合わせるといった集団ゲーム的なものから、まるで子供の工作やお絵描きのような素朴な表現が試されており、それはまさに本書のテーマである「遊び」そのもの。本書によれば、シュルレアリズムの日本語訳の「超現実主義」は、「現実を超えた別次元、別世界」を指すのではなく、まさに字で書いたとおり「超!現実」つまり現実を元にした「ものすごく現実」という意味とのこと。現実世界から乖離した突飛なものを作るのでなく、あくまでも現実に根差していないといけないというわけです。その証拠に、シュルレアリズム作品の中には普段の生活で使用する家具もあります。
これはメレット・オッペンハイムの作品「鳥の足をもつテーブル」。今もしお店で売られていてもぜんぜん”アリ”な実に良いデザインのテーブルです。これ欲しい人かなりいるのでは?
これはジョルジュ・デ・キリコの1970年の彫刻作品「孤独な詩人」。全体的なデザインんとラインが現代的で今見ても全く古さを感じない、時代を超越したユニバーサル・デザインだと思います。
こうしたふんだんに遊びが取り入れられたシュルレアリスム作品は、「寄せ集め」「やっつけ仕事」「日曜大工」などと訳される「ブリコラージュ」といった技法で製作されているとか。これはありあわせの材料とその場その場の相違工夫によって組み立てていく作業のことで、これはあらかじめ設計図を用意して順序正しく組み立てていくエンジニアリングの対立概念です。どちらが良いか悪いかではなく、ただ作る工程が異なるだけの「違い」でしかありませんが、シュルレアリズムがブリコラージュであるとすると、これもまた普段の生活「現実」に根差していると言えます。これはその時たまたま冷蔵庫に入っていたもので適当に料理を作るようなもので、逆にエンジニアリングはレシピ本を見て作りたい料理を決め、それにそって材料を買って料理するようなものです。そう考えたら、世の中の人はみんな日常生活の中で何かしらブリコラージュをやっていて、まさにありあわせのもので作った料理はシュルレアリズム的と言えます。
マグリットの淡々とした作風も現実に根差し、かつ現実の日常の中にあるありふれたものを”組み合わせ”ることによって製作されていると言えます。
ちなみに本書で一番しびれた箇所は以下のとおりです。人類史上、様々な美術様式が登場しては過去のものとなっていきましたが、シュルレアリズムは今もなお生き続け、新しいアーティストと作品が生まれています。その理由を端的に表した文章だと思います。
シュルレアリズムには「主義」も「様式」もなく、表現の多様化をこそ良しとしていたので、人体像についてもなんでもありでした。それかあらぬか、一貫していない、純粋ではい、つじつまがあわない、時流にそわない、などといわれがちでしたが、そういう批判はほとんど意味をなしません。
なぜなら、あえて画一化や純粋志向や辻褄あわせやトレンド化に抗する生き方を選んだのがシュルレアリスムだったからで、公認美術史の本流を外れることはかえって望むところでした。
だからこそシュルレアリスムは長続きし、今日なお「人間みたいなもの」の姿で、再来・再浮上をくりかえしているのでしょう。




