昨日の続きです。

 

昨日取り上げた『ハリウッド「赤狩り」との闘い:「ローマの休日」とチャップリン』を読んで、2004年公開の映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」の裏テーマがこのハリウッドの「赤狩り」だったのではないか?と気付いたわけですが、その一番の理由は本作のヴィランがどう見てもジョン・ウェインである点です。

 

 

本作の感想文は過去にも書いているのですが、当時は「西部劇とそれに関連するネタがてんこ盛りで超マニアック」という認識しかありませんでした。しかし、ジョン・ウェインという人物がどういう人で、この「赤狩り」の時代にどんなことをしたかを知ってから改めて観ると、それまで見えてこなかったものが見えてきます。ちょうど「赤狩り」を通して「ローマの休日」を観ると全く異なった印象になるのと同じように。

 

本作のあらすじは、かすかべ防衛隊と野原家が潰れた映画館「カスカベ座」のスクリーンから映画の世界へ取り込まれてしまい、そこから現実世界へ帰る方法を探すというもの。映画の世界は、モニュメントバレー風の景色の中にポツンと存在する西部開拓時代の町「ジャスティス・シティ」で、ジョン・ウェインをチョイ悪にしたようなカウボーイのおっさん「ジャスティス・ラブ」が圧制を敷いて町民を暴力的に支配していました。他の町民も「カスカベ座」のスクリーンから取り込まれてしまった現代人でしたが、なぜか皆が記憶を失い、ジャスティス・ラブの町に馴染んでしまっています。そしてしんちゃんの両親とかすかべ防衛隊のメンバーさえも町に馴染み、それぞれに与えられた役割を”演じる”ようになってしまいますが、しんちゃんとボーちゃんだけはジャスティス・ラブにも町の空気にも屈せず反抗し続けるのでした。

 

最初にこれを観たとき、「ラスボスがジョン・ウェインで名前が”ジャスティス・ラブ”なんて風刺が効いているなあ」程度にしか思いませんでした。西部劇のアイコンのような俳優をモデルに「正義と愛」という名前でヴィランなんだから。

 


悪いジョン・ウェインことジャスティス・ラブ

 

ジョン・ウエインは西部劇の大スターで、西部劇の定番であるつばの広いテンガロンハットや大きなバックルのベルトなどを定着させた人ですが、実は非常に政治的な人、というか思いっきり右翼で保守派のタカ派で、左派でリベラルな映画人を迫害していた人でもありました。『ハリウッド「赤狩り」との闘い:「ローマの休日」とチャップリン』でも言及していましたが、彼はハリウッドに赤狩りの嵐が吹き荒れた際、非米活動委員会の聴聞会で「転向」するどころか率先して彼らの先頭に立ち、非米活動委員会に睨まれた映画人がハリウッドで仕事をすることがないように監視・妨害をする役目をしていたとのこと。中でも有名なのは、”共産主義者”としてブラックリストに載った脚本家のカール・フォアマンが脚本を書いた「真昼の決闘」がアカデミー賞を獲得しないように裏から手をまわして妨害工作を仕掛けたこと。尤も、それでもアカデミー主演男優賞、アカデミードラマ・コメディ音楽賞、アカデミー歌曲賞、アカデミー編集賞を受賞しましたが。

 

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なお、この「真昼の決闘」も今ストーリーを振り返ると明らかに「赤狩り」の影響が見て取れます。本作は一応西部劇ではありますが、保安官が悪党に立ち向かおうとしているのに、協力者が真っ先に逃げ、守ろうとしている町の住民すら誰も手助けせず、自分の嫁さえ自分を応援してくれない…という「孤立無援」の状態から物語が始まります。そして決闘するのは本当に最後の最後で、劇中の大半が協力者を探して町を彷徨う保安官の描写。血沸き肉躍る描写がなく、それまでの西部劇にあった正義のヒーロー像も、一緒に戦う友情も、開拓者のチャレンジ精神も何もありません。ある意味非常にリアルな人間描写で、しかも脚本を書いた人が赤狩りでブラックリストに載った人。もうどう考えてもカール・フォアマン自身の体験が反映されているとしか思えません。俺がブラックリストに載って仕事を干されたのに他の連中は誰も助けてくれなかったじゃねえか!という。

 

で、ここで改めて「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」のストーリーを振り返ると、どうもこの「真昼の決闘」が下敷きになっているのでは?という気がしてきます。ジャスティス・シティに取り込まれてしまった人々は、しんちゃん以外の野原家の人々やかすかべ防衛隊のメンバーもj町に馴染んで徐々に記憶を失い、元の世界に帰ろうという気持ちを失っていきます。そんな中、しんちゃんとボーちゃんだけは町に馴染まず記憶も失わず、どこまでもジャスティス・ラブに反抗し、他の人々の記憶を呼び覚まして皆で元の世界に帰ろうと呼びかけます。ところがそれがなかなか上手くいかず、かすかべ防衛隊の団結にも亀裂が入ったままで、最後の最後まで「かすかべ防衛隊ファイアー!」の掛け声が出てきません。この、しんちゃんの親にも友達にも頼れない孤立無援っぷりは「真昼の決闘」の保安官の姿と重なります。

 

ところで、「真昼の決闘」が気に食わなかったジョン・ウェインは、そのアンチテーゼ作品として右翼仲間とつるんで「リオ・ブラボー」を製作しますが、この作品もまた「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」の元ネタの一つだったりします。

 

しんちゃんの服とジャスティス・ラブの手下の保安隊の服が「リオ・ブラボー」のジョン・ウェインの衣装と同じ。

 

この「リオ・ブラボー」は、「真昼の決闘」とはまるっきり逆で、悪党に立ち向かう保安官を町の住民皆が助ける歌ありコメディありの愉快痛快な映画です。これはジョン・ウェインの脳内にある「理想的な西部劇」「理想的なアメリカ」を具現化したもので、はっきり言って完全にファンタジーなのですが、困ったことにこれが傑作なのです。政治的な背景はグレーもしくはブラックなのに、作品そのものは良いという困った事態はよくありますが、本作もその事例の一つ。「リオ・ブラボー」は「真昼の決闘」がなければ生まれなかった、2作セットで観ると当時のハリウッドの赤狩りや右派と左派の対決がよく分かる合わせ鏡のような作品たちです。

 

「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」のジャスティス・ラブの正体は、自分が主人公の映画を永遠に終わらないように人々を取り込み、役割を演じさせて映画世界を維持し続けようとする「映画のキャラクター」です。それは現実と乖離した「俺が考えた理想的な西部劇」「俺の中の理想的なアメリカ」を生涯表現し続け、それを他者にも求め、それに反する映画人を妨害したジョン・ウェインそのものなのかもしれません。今回『ハリウッド「赤狩り」との闘い:「ローマの休日」とチャップリン』を読んでまた「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ!夕陽のカスカベボーイズ」を観たら、しんちゃんはダルトン・トランボをはじめとする「ハリウッド・テン」および共産主義者としてブラックリストに載った反骨の映画人のメタファーではないか?という気がしてきました。

 

しかしただでさえ映画(主に西部劇)の細かいネタがてんこ盛りで子供はおろかその親ですら分からなそうな内容なのに、ハリウッドの赤狩りも盛り込まれているとしたらさらに「分からない」映画になってしまいます。子供のじいちゃんやばあちゃんが分かったらラッキーぐらいなネタですよ。ハリウッドの赤狩りは1950年代の出来事なんだから。

 

あともう一つ、ラストで蒸気機関車と自動車部隊が激しいチェイスを繰り広げますが、これの元ネタって「マッドマックス3/サンダードーム」ですよね?かすかべ防衛隊の掛け声を思い出すときに「インターセプター!」と叫んでるからこれは間違いないと思います。