先週の水曜日にやっと東京・池袋のヒューマックスシネマで「シン・ゴジラ」を鑑賞できました。既にTwitterやFacebookのタイムラインにはネタバレがバンバン上がってきている状態でしたが、「マッドマックス 怒りのデス・ロード」と同等もしくはそれ以上の情報量にめんどくさくなり、途中からあまりチェックしなくなってしまいました。ということであまり前情報を頭に入れずに観たのですが、結論から言うと綺麗なルー大柴以外は最高でした。本当にあいつさえいなければ複数回観たいところなんですが、とにかくあの似非英語の一言一言、仕草一つ一つがクソうぜえ。マジでなんなんですかねあの演出は?でも庵野監督のことだから、敢えてどこの誰が見てもウザいキャラにしてその「ウザさ」にもちゃんと意味を持たせているのだと思いますが。

 

既に「シン・ゴジラ」に関する考察記事は山のようにあると思うので、私なりの考察は後々書くとして、真っ先に気になった部分のみまず書こうと思います。それは「なぜ大河内総理は秋田県出身だったのか?」ということです。登場人物の出身地についてはセリフの中でなんとなく分かる人もいるっちゃいるのですが、大河内総理の出身地に関してはセリフの中で一切語られず、またその設定がストーリーに絡んでくることもありません。なのに総理の背後にわざとらしいくらいでかでかと竿燈まつり(秋田市)の写真が飾られているのです。さらによく見るとその隣に太平山の三吉神社(秋田市)のお札も置かれているし、別のシーンでは漆塗りのお盆(湯沢市稲川町の川連漆器)や樺細工の箱(仙北市角館町の樺細工)など、これでもかと秋田県の伝統工芸品が登場し、余程のアホでない限り秋田県民なら一発で分かるという状態です。これについては既に産経新聞が記事にしており、エンドロールの装飾協力にも秋田県の関係者が記載されています。

 

シン・ゴジラの首相は秋田出身 画面に工芸品や竿燈…庵野総監督のこだわりに関係者協力

 

株式会社カラーのTweetによれば、大河内総理の選挙区は秋田1区だそうなので秋田市から出た人ですね。

大河内総理の出身地が秋田県に設定された理由の一つは、現時点で秋田県出身の総理大臣がまだいないからでしょう。既に総理大臣を輩出したことのある都道府県の出身にしてしまうと「大河内総理の元ネタは◯◯」と観客の視点にバイアスがかかってしまうかもしれません。もっとも「シン・ゴジラ」の閣僚キャラは「この人の元ネタって絶対あの人だよな」と思えてしまう人が何人がいたのですが。ちなみにエンドロールの取材協力者に、東日本大震災発生当時に内閣官房長官だった枝野幸男氏と2007年に防衛相だった現・東京都知事の小池百合子氏の名前がありました。

 

しかし私はどうしてももう一つ理由がある気がしてなりません。なぜなら秋田県は東日本大震災の被害及び影響がほとんど無かったにも関わらずしれっと「がんばろう東北!」に乗っかっているところだからです。当時私は東京にいたのですが、震災発生の直後に家に電話した時のことを今でもよく覚えています。だって電話口に出た母曰く「ちょっと揺れたけどコップ1つも割れてない」でしたからね。実際東日本大震災時の秋田県は震度5程度で、被害といったら「古い家の壁やコンクリートにヒビが入った」「老朽化した建物の石膏ボードが落ちた」「マンホールの蓋がずれた」「歩道がちょっと波打った」なんて屁みたいなレベルで、東北で唯一死者は0人。震災発生直後に停電したものの次の日には復旧し、秋田大学と秋田県立大学に至っては震災翌日に当初の予定どおり入試を実施したとか。近隣県の受験者もいるだろうに配慮に欠けるとさすがに後で叩かれたらしいですが、やっちまったもんは仕方がありません。その後東北は農作物のセシウム汚染の二次災害に見舞われ、日本海側だったにもかかわらず山形県はその対策に追われることになるのですが、そのセシウムすら奥羽山脈が壁になって秋田県には入ってきませんでした。県は直接的被害は少なかったが風評被害で観光客が減少し農作物の売上も芳しくなく産業が衰退、県民は閉塞感に包まれているとかなんとか言ってましたが、秋田県に観光客が来ないのも農作物が売れないのも産業が衰退しているのも閉塞感に包まれているのも震災のせいではありません。元からです。秋田県はもともとそういうところです。そして現在、秋田県は人口減少率日本一で東北地域の実質経済成長率寄与度も東北六県中最低。甚大な被害があった岩手県、宮城県、福島県より早いスピードで人口が減り経済成長にも貢献していないとはディストピアもここに極まれりです。

そんな秋田県民にとって東日本大震災とは何か?と問われたら、ぶっちゃけ「他人事」です。みんな普通に「震災はもう飽きた」とか言います。毎年3月11日にはどのテレビ局も震災の特集番組を放送しますが、3月11日の秋田県のTSUTAYAは軒並み在庫が貸出中になり、加えてパチンコ屋とイオンが混みます。秋田県とはそういうところなのです。

 

本作におけるゴジラは突如日常に災害をもたらす自然=「荒ぶる神」のメタファーです。荒ぶる神は人間に厄災をもたらす一方で逆に恵みをもたらす存在でもあり、荒ぶる神に打ち勝つのではなくなだめて共に生きていくというのが日本に於ける多神教の考え方で、ストーリーもこれに沿って展開していきます。ゴジラによって表される災害の風景はやはり東日本大震災が元になっていると思われ、瓦礫だらけになった町の風景は非常にリアルでした。実際に間近で自然災害を経験したことのある人が観たら精神的に苦しくなってしまうかもしれません。これはあくまでも私の勝手な深読みですが、庵野監督は「せめて虚構の中だけでも大災害で大変な思いをしてみろ」という意図を込めて大河内総理を秋田県出身者にしたのではないでしょうか。大河内総理は決して悪い人ではなく、むしろ人間味のある善良な人物ですが、イマイチ危機感に欠け、決断力が乏しく周りに流されてばかりいて、良かれと思ってやったことが全て裏目に出、やっとリーダーらしくなってきたと思ったら唐突に退場します。このキャラ設定もなんとなく秋田県に対する皮肉に思えてならないのです。