先週実家の秋田県横手市に帰ってきました。帰った理由は以前のブログに書いた通りですが、実家の現状は予想をはるかに超えてひどいものでした。何がどうひどいのか、もうどこから書いてよいのか迷うくらいです。
まずは父の病状ですが、脳に転移した癌がさらに進行し耳も遠くなってしまいました。肺癌なので声がまともに出なくなり、さらに脳に転移した影響で視力も落ち、そして耳。このため父は他者との意思疎通が困難となり、また食事をするにも咀嚼が上手くできなくなり、食べられる食品の種類がかなり少なくなってしまいました。そのため毎日のメシ時はいつも父と母の喧嘩です。母が何かを作って出しても父は喰おうとしない。例えば昨日「大根の煮付けが食べたい」と言ったのにいざ今日出したら「食べたくない」と言う。また咀嚼できないからミキサーで細かく砕けと言い、その通りにして出したら「不味い」と言う。そして声が出ないためそれは顔をしかめたり手で皿を払うなどジェスチャーによって表されます。これが母にとっては気に障るらしく、母はいつも父を怒鳴りつけます。尤も「昨日と今日とで言ったことが違う」「癇癪を起こす」といったことは末期癌患者にはありがちなことで、癌関係の書籍を読めば大抵似たようなことが書いてあります。ところが母には「本を読んで学習する」という習慣がなく、当然図書館に行く習慣もありません。
では通院している病院の医師は何かアドバイスをしてくれないのだろうか?と聞くと、これまたひどい。現在父は市内の某総合病院Hに行っているのですが、もうここは「医療はサービス業」であることが分かっていないんじゃないかというくらいひどい。なんと一番最初の検査で肺癌と分かった際にセカンドオピニオンが無かったというのです。そしてさっさと放射線治療を始めてしまったせいで、後に福島県にある南東北がん陽子線治療センターに行った際に普通ならできるはずの治療ができなかったとのこと。看てくれた南東北がん陽子線治療センターの医師曰く「どうして放射線治療をする前にここに来てくれなかった。放射線治療をする前にH病院の医師から何か説明は無かったのか?H病院の治療さえ無ければ助かっていたのに」とのこと。後にH病院の医師にこのことを言ったら謝ったそうですが、謝って済む問題ではありません。また父に癌告知した直後にその医師は父に対し現在服用している薬はないか質問したそうですが、その際癌告知されたショックでボンヤリしていた父に医師は「なんだおめえ、自分のごどななさそんたごどもまどもに答えられねが」と言い放ったそうです。さすがにこれには母がブチ切れたそうですが、それでも医師は謝罪の言葉もなくただ黙っただけだったそうです。こんな対応はサービス業として絶対に許されることではありません。しかしそこまでされても、言われても父はこのH病院に通わざるを得ない。なぜならこの街にあるまともな総合病院はここしかないからです。なぜこんな接客が許されるのか?それは田舎で「競争相手」がいないからです。サービス業にかかわらずビジネスは何でも他者との熾烈な競争によって鍛えられ、磨かれます。それが田舎だと競争相手がいないからどんどん馴れ合い劣化していく。そしてそれらは当人達には分かりません。
そしてさらに実家周辺の環境がひどい。私の実家があるのは山間部の農村部落なのですが、とにかく部落の連中が寄り合いなど何かにつけて母に父のことを聞くのだそうです。その意味は「どれくらい弱っているのか」「いつ死ぬのか」ということ。また話しかけてこなくても、畑など屋外でわざと母に聞こえるような声量で「余命宣告されだならあど死ぬの待つだげだべ」と噂話をしたりする。特に今は雪で畑仕事が無いため、暇も持て余した年寄りたちはしょっちゅう「茶飲み」で集まり、他の家の悪口や噂話をしています。もうそれしかやることが無く、他人の不幸が面白くて仕方が無いという閉鎖部落特有の内向きさ。それに加えて地元の葬儀屋が「お式はぜひうちで」と営業電話までかけてくるそうです。田舎では「個人情報保護」など画餅です。どの家のどの人間がどんな病気にかかっていて余命宣告は何年かetc..そんな細かい情報も全て筒抜けです。
もう全ての状況が「最悪」です。もう最悪以外の言葉が出てきません。
まずは父の病状ですが、脳に転移した癌がさらに進行し耳も遠くなってしまいました。肺癌なので声がまともに出なくなり、さらに脳に転移した影響で視力も落ち、そして耳。このため父は他者との意思疎通が困難となり、また食事をするにも咀嚼が上手くできなくなり、食べられる食品の種類がかなり少なくなってしまいました。そのため毎日のメシ時はいつも父と母の喧嘩です。母が何かを作って出しても父は喰おうとしない。例えば昨日「大根の煮付けが食べたい」と言ったのにいざ今日出したら「食べたくない」と言う。また咀嚼できないからミキサーで細かく砕けと言い、その通りにして出したら「不味い」と言う。そして声が出ないためそれは顔をしかめたり手で皿を払うなどジェスチャーによって表されます。これが母にとっては気に障るらしく、母はいつも父を怒鳴りつけます。尤も「昨日と今日とで言ったことが違う」「癇癪を起こす」といったことは末期癌患者にはありがちなことで、癌関係の書籍を読めば大抵似たようなことが書いてあります。ところが母には「本を読んで学習する」という習慣がなく、当然図書館に行く習慣もありません。
では通院している病院の医師は何かアドバイスをしてくれないのだろうか?と聞くと、これまたひどい。現在父は市内の某総合病院Hに行っているのですが、もうここは「医療はサービス業」であることが分かっていないんじゃないかというくらいひどい。なんと一番最初の検査で肺癌と分かった際にセカンドオピニオンが無かったというのです。そしてさっさと放射線治療を始めてしまったせいで、後に福島県にある南東北がん陽子線治療センターに行った際に普通ならできるはずの治療ができなかったとのこと。看てくれた南東北がん陽子線治療センターの医師曰く「どうして放射線治療をする前にここに来てくれなかった。放射線治療をする前にH病院の医師から何か説明は無かったのか?H病院の治療さえ無ければ助かっていたのに」とのこと。後にH病院の医師にこのことを言ったら謝ったそうですが、謝って済む問題ではありません。また父に癌告知した直後にその医師は父に対し現在服用している薬はないか質問したそうですが、その際癌告知されたショックでボンヤリしていた父に医師は「なんだおめえ、自分のごどななさそんたごどもまどもに答えられねが」と言い放ったそうです。さすがにこれには母がブチ切れたそうですが、それでも医師は謝罪の言葉もなくただ黙っただけだったそうです。こんな対応はサービス業として絶対に許されることではありません。しかしそこまでされても、言われても父はこのH病院に通わざるを得ない。なぜならこの街にあるまともな総合病院はここしかないからです。なぜこんな接客が許されるのか?それは田舎で「競争相手」がいないからです。サービス業にかかわらずビジネスは何でも他者との熾烈な競争によって鍛えられ、磨かれます。それが田舎だと競争相手がいないからどんどん馴れ合い劣化していく。そしてそれらは当人達には分かりません。
そしてさらに実家周辺の環境がひどい。私の実家があるのは山間部の農村部落なのですが、とにかく部落の連中が寄り合いなど何かにつけて母に父のことを聞くのだそうです。その意味は「どれくらい弱っているのか」「いつ死ぬのか」ということ。また話しかけてこなくても、畑など屋外でわざと母に聞こえるような声量で「余命宣告されだならあど死ぬの待つだげだべ」と噂話をしたりする。特に今は雪で畑仕事が無いため、暇も持て余した年寄りたちはしょっちゅう「茶飲み」で集まり、他の家の悪口や噂話をしています。もうそれしかやることが無く、他人の不幸が面白くて仕方が無いという閉鎖部落特有の内向きさ。それに加えて地元の葬儀屋が「お式はぜひうちで」と営業電話までかけてくるそうです。田舎では「個人情報保護」など画餅です。どの家のどの人間がどんな病気にかかっていて余命宣告は何年かetc..そんな細かい情報も全て筒抜けです。
もう全ての状況が「最悪」です。もう最悪以外の言葉が出てきません。