この『青砥日記』を始める際、ペンネームを使用することについて特に迷いはありませんでした。

 本名を使用した有名人ではありませんから、考えるまでもなくペンネーム「青砥」を選択した経緯があります。

 

 けれど、もし今後文学賞に応募するですとか、これから携わる仕事で制作物が世に出るという場合は「現在のところは」という括弧付きではありますが本名にしようかなと考えています。

 

 私自身のことだけを考えたならば特に本名でもペンネームでも良いのですよね。

 けれど、頭をかすめるのは亡くなった母の事です。

 

 母は、私が書く文章が好きで良く褒めてくれました。というより、文章に限らず子供がすることを全て肯定するという母でした。

 息子の立場で見る限りではありますが、母は「子供の事を肯定して教育しよう」と何か方針があってそうしている訳ではなく、本当にそう思うから肯定しているという性格ですね。

 そんな母でしたから、子供が何かを書いたり作ったりしたら、いつもそれを見るのを楽しみにしていました。

 

 ここから書き方が難しいのですが、私の死生観は以前このブログに書かせていただきました。

 

 

 上記のブログの通り、私は死後の世界は「ないんだろうな。ないんだろうけど、あるといいな。」というニュアンスで考えています。

 

 けれど、仮にあの世があった場合、母は何らかの形で私たち子供の情報を得ている可能性はないかなと、ふと思うことがあるのですよね。

 絶対に一度や二度は、私が何か書いていないかなと調べたりしているはずなのです。

 

 もしそうだった場合、ペンネームだと母は私が書いた本だと気づかないのではないかな、という思いがいつの頃からか私の頭にあり続けています。

 

 母の性格上、「<私の本名>がペンネームでもしかしたら本を書いているかも」と思いを至らせるタイプではないのですよね。

 

 色んな前提を突破しないと意味をなさない考えですが、そんなことを思って私は本名で書こうかなと今は考えています。


 今後どの様な形であれ、夢が叶ってもこういったことは日常生活では話さないので、この話は私と読者様との内緒の話にしてください。