今日は仕事から簡単な用事を済ませ、その後自分としてはイレギュラーなことですがバスに乗って帰りました。

 

 バスは混んでいて、座れる様子はありませんでした。資格テキストを開くか、音楽を聴くか迷っていたところ、南アジア系と思われる女性が停留所から発車しようとする運転手に話しかけていました。

 

女性「<停留所名>に停まる?<停留所名>!」

バスの運転手「いや、聞いたことないな。他社のバスの停留所だろうからわからない。多分、<地域名>辺り?じゃあ、このバスだけじゃ行けないから、乗り継ぐことになるね。いい?もう出発するよ!!」

 

 バスの運転手の方の言葉はブログ用にオブラートに包んでいます。けれど、理解もできなくはないです。バスのスケジュールを守らないといけない焦りもありますし、知らないバス停を調べる時間はないでしょうから。

 

 私はその地域は住まいとは遠いものの聞いたことがありました。ですのでスマホで調べてみるとこのバスのある停留所から歩いていける距離にあることがわかりました。ですので、運転手の方が言うように乗り継ぐ必要はありません。

 

 一瞬小考し、話しかけました。

 

 まず、結果から申し上げますと大変喜んでいただけました。

 私が自分のスマホで地図を表示し、行先に間違いないか確認し、それだったら○○というバス停で降りて、ここを目指してただまっすぐ歩けば良い。迷ったらコンビニに入って行先を聞いてみてくださいと伝えましたら、とても深い目の色をした方で私の目を見て感謝の言葉を言ってくださいました。

 

 ただ、考えることがあります。

 バスの運転手の方が少々突き放すような言い方をされた後のバスの雰囲気や、日本語を多少話せる方なので昨日今日日本に来たという訳ではないでしょうが、異国の公共交通機関で間違ったバスに乗っているかもしれない不安気な後ろ姿、彼女が握りしめている行先が書かれているであろうくしゃくしゃの紙。

 

 私には少々たまらなく思えました。

 

 それと、上にも書きましたが私は話しかけるのに小考したのですよね。それは、ある程度の年齢の私もある程度の人生経験があり、私のしたことを無下(むげ)にされたいくつかの経験が頭をかすめたからです。

 

 バスを降りるときに彼女と笑顔でさようならを言えたのは嬉しかったです。

 けれど、彼女のあの時の不安げな姿と、素直に一歩目を踏み出せなくなった自分を思って、どこか事が昔ほど単純ではなくなったことにやるせなさを感じたのでした。