長女のシャノン・リーさん。
「父が香港島から対岸の九龍半島に向かうスターフェリーに乗っている時の一枚です。
10才くらいの写真だと思います」
サンフランシスコ生まれ、香港育ち。
香港から俳優目指して渡米したんだと思ってた。
逆なんだ!
父は粤劇(えつげき)の花形役者。
母は中国人とヨーロッパ人の間に生まれた。
子供の頃から子役として活動していた。
13才の頃、詠春拳を習い始める。
ストリートファイト。笑
「サンフランシスコに暮らす中国系の人々は、かつてこのチャイナタウンと言う小さな区画に閉じ込められてきました。
およそ100年もの間、隔離され差別されてきたのです。
知らない人ばかりの異国で、彼はマイノリティになりました」
「ブルースは(カンフー教室の)生徒の人種など気にしなかった。
今にして思えば、相当進んでいましたね」
奥さんはカンフー教室の生徒。
生徒に手を出したのか、それはちょっと・・・。
ハリウッドのプロデューサーがカメラテストを受けないかとスカウトに来た。
グリーンホーネットの主役に抜擢される。
在米アジア人にとっても誇らしい事だった。
「業界内の人種差別に阻まれ、俳優としての地位は低いままでした」
シャノン「彼らは父を素人だと思い込んで、演技のコーチを付けました。
その上セリフもなし。」
リンダ「彼はエネルギーに満ちて、本当に落ち着きがない人。
常に体を鍛えていましたが、それ以上に頭を使って物事をよく考える人でした」
「父はハリウッドにしぶとく根強いていた、構造的な人種差別と戦わなければならなかったんです」
アジア人にアジア人差別について聞かれても困るよね。
差別する側のアメリカ人に、何が理由で差別してるのか聞けばいいのに。笑
女性差別する男にも。
アジア人が主演女優賞を取るのは2023年。
「あの頃はベトナム戦争の影響も大きかったと思います。
そう言う事がバネになったんじゃないか」
あー、なるほど。
リンダ「それで香港に移ったんです。
ハリウッドの正面玄関から入れないなら、香港を経由して通用口から入ってやるって」
32才で死去。
死因は鎮痛剤の過剰摂取。(と言われている)
そんなに早かったんだ。
「(劇場の)中から出てきた若者達が、ブルース・リーの動きを真似して、その辺を飛び回り始めたんです」
分かる、自分もカンフー出来る気になるよね。
🍀
死亡遊戯しか観た事なくて、ジャッキー・チェンとごっちゃになるくらい詳しくなかったけど、こう言う経歴だったんですね。
生前ここまで評価されていないのは知りませんでした。
ゴッホの様だ。
アクション映画は苦手なのですが、燃えよドラゴン観てみたくなりました!🐲