現代において、イエスに注目する理由があるとすれば、彼がエンキ由来の高貴なるDNAを継ぐヒトであり、その精神性を含めて人に伝えたからだろう。

 

決して、彼が神の子だから敬うというのではない。それは彼自身も望むはずがないからだ。

 

実際に、イエスは、ユダヤ教の少数異端派エッセネ派に属していた。彼に目をつけて、キリスト教の教祖に祭り上げたのが、教会であり、バチカンであり、ローマ帝国だった。

 

ニケーア公会議で、三位一体がいわゆる正統の神学となり、神と子と精霊が一体であるというプロパガンダが生まれた。

 

これは帝国の後ろ盾として、神の後光を利用するためだった。

 

その後の一神教教会史は、十字軍、異端審問、魔女狩り、テンプル騎士団を巻き込んでの抗争等、まさに血で血を塗る争いだった。

 

キリストがこのような歴史を嘆かわしく思っているであろうことは、想像に難くない。彼は完全に、エイリアンアジェンダによって利用されてしまった被害者からだ。

 

十字架が、実は、権力による愛の制服の象徴であったことを思い起こそう。