【地球ヒューマンの教育改革はいかにあるべきか】

宇宙系の話題に注目していて、トニー・ロドリゲスの本を読んだり、動画を見たりしていて、少し感じるところがありました。教育改革と通ずる側面もあって、一過性ではない重要性もあると感じています。

 

以下、彼のエピソードからシェアさせていただきたいと存じます。おしゃべりのようなスタイルですが。

 

10歳で、イルミナティ悪魔崇拝ファミリーに狙われエイリアンアブダクション(誘拐)によって、奴隷兵士として使役され、地球上ではペルー、シアトル、カリフォルニア、地球外では、月へ、火星へ、さらに、小惑星のセレスへと連行された。

 

セレスは、火星と小惑星ベルト(火星と木星の中間にあって、かつては第五惑星マルデクがあったが、それがレプティリアン、グレイ等のからむ核戦争によって爆発して今の小惑星ベルトになった)の中間にあり、楕円軌道を描いている。

 

セレス住民は約25万人で、使用言語はドイツ語が中心。やはり、第二次大戦以前の1930年当時から南極から月へ火星へと展開していた、ナチス第四帝国系ダークフリートの活動領域であったことがわかる。

 

トニーの任務は、宇宙船メインテナンスが主だった。月でも火星でもセレスでも、始終、適正テストを受けながら、人体実験さながらの薬物を投与されながら任務にあたっていたが、その適正テストには事前の学習期間もあり、そのときにはコンピュータスクリーンの前に座って長時間学習をさせられた。

 

その訓練には、インストラクターがいて、彼のインストラクターは、長身で後頭部も長いグレイだった。しかし、その態度が非常に横柄で人間を見下す様は尊大極まりなかった。

 

お前はこんな問題も解けないのか!

 

このうすのろ間抜けが!

 

どうせ、今回もまたダメだろう!

 

というような悪態を、常に、テレパシーで浴びせ続けた。

 

明らかに人類を自分たちよりも下等と見下しており、それを言動にも露骨に表していた。

 

テレパシーでの会話といえば、レプティリアンも、火星のインセクトイド(アリンコの巨大なやつ)も、みなテレパシーで会話をしていた。

 

レプティリアンが、彼ら(地球からきた奴隷兵士など)に話かけるときには、語尾の語気に異様なストレスを置いて、聞くものに恐怖をたたきこむような語調でしゃべる。この低波動による威圧行為は、人間でもやる人がいますね。やはり、種をまたいで共通の言動スタイルというのがあるようです。レプ気質があるというのも、根拠のない話ではないでしょう。

 

トニーの労働環境も過酷を極めるもので、20年もそんな業務に携わらされた。しかも、最初は自分も気づかなかったけれども、クローンの身体に自分の精神を移行されていた。

 

何度も死にたいと思ったが、それもそうだろうと思うほどの地獄の苦しみを味わっていた。虐待も日常茶飯事で、軍隊組織では男色が当たり前で、相手をさせられる。

 

トニーが立派だと思うのは、こんな暮らしをしてきて、10歳の身体にふたたび当時の意識で戻って、それから退屈な学校教育を経て、今、50歳くらいですが、去年、GSIC(Galactic Spiritual Informers Conference)に登壇者のひとりとして参加して(他の参加者、Elena Danaan, Dany Henderson, Dr. Michael Salla, Jean Charles Moyen, Chris O’Conner, Dan Willisなど、あの宇宙真実を追求し続けるグループ。賛同者にAlex Collierがいる)、それで自分の人生はかわった!といって、今は、自分の体験を本として出版したり、ウェブ上で類似体験をした人などの啓発セミナーやワークショップやカウンセリングをしたりしているのです。

 

今、トニーにとって最大の関心事であり、大きなミッションと感じていることは、地球の教育改革。そこがすごい。教育こそ、最大の可能性を秘めていると。

 

というのも、彼にとっては、エイリアンアブダクションで、グレイのインストラクターのもとで受けたあの教育が、実は、地球の学校教育よりはるかに効率がよく面白かったようなのです。

 

逆に、地球復帰後は、学校があまりにくだらなくて退屈で、これは考えられる限り最低の教育システムだった。

 

そこで、去年のコンファレンスに参加して移行、本格的に意識を共有する人々と対話を通じて、今、協力者も得て、本格的に新しい教育プログラムを構築し始めている。

 

その教育プログラムのポイントをいくつか手短に言えば、ひとつは、知識詰め込みではなく、意思決定プロセスを訓練するプログラムであること。

 

インストラクターのエイリアンたちが、トニーに求めたことは、決して知識の吸収や暗記ではなかった。そういうものはほとんどなかった。上官が関心をもっているのは、変化する状況下における意思決定力。


これを常に見ているし、追求しているし、引き出そうとしている。

 

それによって、Commandに行く人もいれば、Administrationに行く人もいれば、Researchに行く人もいれば、Engineeringに行く人もいる。


それでもダメなら、Skilled Labor、Manual Labor(一番キツイ身体労働系)などの適正に応じて、配置していくという形。


今後、この種のキツイ労働は、AIやロボットの開発でカバーできる部分があると思うので、それはいいとしても。

 

ここで肝心なことは、より知性レベルの発達を遂げた種が注目するのは、知識の獲得ではなく、状況対応のための意思決定の能力だということ。

 

その観点から、トニーは今般のパンデミックをふりかえって、こう言っています。

 

どれほど優秀だとか学問的に優れているとか知的にレベルが高いとか言われていた人でも、ほとんどが今回のパンデミックの嘘を見抜けずに、ワクチン接種などに誘導されて騙されてしまった。


いかに地球上の教育システムが無力であったかを物語っていると。

 

いや、むしろ実際には、これはまさに知識詰め込み型教育の成果だったのではないか。

 

学問分野を細分化して教科を分断して、セクションセクションで仕切って、その中で詳細な情報をこれでもかこれでもかと詰め込む。


その結果、人間の意識のありように、いかなる変化がもたらされるのか。

 

端的に、「すべてはつながっている」という宇宙の原則が見えなくなるのです。

 

Everything is connected. すべてはつながっているのです。

 

分断して専門家すればするほど、この真理から遠ざかっていく。

 

日本史の得意な人が、明治維新の背後にグローバル金融マフィアがいたという、当然の事実がわからない。東大日本史をやるような人が。

 

共産主義とグローバリズムが、実は同じ資本家をスポンサーにしていた。ナチズムも。そんな簡単なことがわからない。偏差値70台の秀才とかいわれる人が。

 

つながりを分断するような学び方を強いられてきたからです。

 

まさに、分断と細分化の成果であり、Divide and conquer(分断して統治せよ)の一環だったし、DS人類洗脳支配の一形態であった。


そこから、人類社会に不要な対立抗争、相互不信が生じるのも容易に想像できることでしょう。

 

分断細分化を示すタームに、compartmentalizationというのがあります。組織でいえばタテ割りのこと。行政における省庁もタテ割りで事行や業務を専門化して担当する。


結果として何が起こるか。誰もヨコの連携を通じた全体像をみない。省庁間の利権抗争によって国家の安泰が常に危機にさらされる。

 

コロナ騒動初期の段階で、マッスル船長のマスク対応の話を聞きにいったとき、彼はいみじくも言った。「DSとはタテ割りです」と。


当時ピンとこなかった部分もあったが、今はよくわかります。そう、官僚もすべてDSの産物なのです。

 

それをいえば、カーストという身分制度も、地下住民エイリアン、そのハイブリッドがいてこそ、生じてきた制度であり、王侯貴族はエイリアンハイブリッド系が主だったから、タテにもヨコにも分断するのが、彼らのやり方なのです。

 

学校はその支配の理想形。学年で割って、クラスで割って、カリキュラムで割って、教科で割って。生徒の意識をズタズタに分断していく。


どこからも統合の原理は生じ得ない。


これでまともな思考が営むことができる人がいるとしたら、変人扱いされて当たり前。


不登校はむしろ、健全な自己防衛本能によるリアクションだったと言うべきでしょう。

 

であれば、新しい教育プログラムでは、専門化細分化よりも、統合が原理として必要であることもわかってきます。


商品開発について考えるときにも、最初から環境要因がつながっているという意識があれば、あとからそれを足す必要はない。


最初から、そういうことを考慮して思考判断を行うように訓練するということでしょう。

 

今後、トニーの教育プログラム開発に注目していきたいと思います。


そして、こちらで日常的にできることとしても、知識ベースで、人の能力をみるのをやめる。


知識量が多い、詳細を知っている、詳しい、何でも答えられる。こういうのは機械がやればいいことです。


地球ヒューマンよりも認知能力のすぐれたエイリアンは、そういう能力には見向きもしない。


やはり、複雑な状況下でどういう行動をとるのか、その判断と意思決定が重要なようですから、そのことを意識して、日常を送りたいと思いますし、そう言う観点で、人とも接していきたいと思います。