御聖訓一読集十二日『南条殿御返事』

「かかるいと心細き幽窟なれども、教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かゝる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所尊しと申すは是なり」(御書1569ページ)

 

 

本日、拝読の御書は、弘安四年九月十一日おしたための南条時光さん宛のお手紙でございます。当時、南条さんは長患いの身であられたようでございまして、お手紙の末尾と追伸の二箇所で、病を克服して御登山参詣されるように、との激励のお言葉がみられることでも、有名な御書であります。

 

上に仰せの、心細い幽谷の中の洞窟のようだと仰せになられているのは、訪う人も稀な身延の地であります。御入滅あそばされるのが弘安五年でありますから、その一年前のことであり、示同凡夫のお振舞であられますから、体力的にも限界に近づきつつある時節であったことが推察されます。

 

しかし、今は病身の若き南条さんを後の富士門流の大発展を支える大切な在俗の中心的存在の方として、なんとしても病魔を克服して登山参詣されるように、御供養をめでられ、その功徳絶大なる所以を説かれ、激励あそばされているのでございます。

 

一大事の秘法とございますが、これは、法華経神力品結要付嘱の法体、仏法究極の法華経文底下種の妙法蓮華経と拝されますが、しかし、これは三大秘法で説かれる本門の題目にとどまるものではなく、むしろ、本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目という三大秘法のすべてがそこに含まれる三大秘法総在の一大秘法であり、人法一箇の御本尊に極まる究極の法体と拝されます。

 

ゆえに、御本仏のおわしますところは、三世十方の諸仏が仏の境涯を覚られるところであり、その転法輪のところでありますから、これほど尊く有難い場所はありません。今でいえば、御本仏の御法魂たる戒壇の大御本尊おわします富士大石寺こそが、その大霊場であります。

 

上の御文との関連で、八相作仏について、改めてひもといてみたいと思います。

 

この南条殿御返事は、その他、いくつかとても有名な御文がふくまれています。

 

以下、三つの箇所を拝させて頂きます。

 

御供養の功徳の絶大さ

「徳勝童子は仏に土の餅を奉りて、阿育大王と生まれて、南閻浮提を大体知行すと承り候。土の餅は物ならねども、仏のいみじく渡らせ給へば、かくいみじき報ひを得たり。然るに釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給ひて候に、法華経の行者を心に入れて数年供養し給ふ事有り難き御志かな。金言の如くんば定めて後生は霊山浄土に生まれ給ふべし。いみじき果報かな」(御書1569ページ)

 

徳勝童子の土の餅は、御供養に関する、最も有名な逸話といっていいと思います。金額の多寡が問題ではなく、志こそが大切であるということをお伝えするときに、しばし言及させて頂いております。

 

「釈迦仏は、我を無量の珍宝を以て億劫の間供養せんよりは、末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は、百千万億倍過ぐべしとこそ説かせ給ひて候」との一節は、南条さんを激励される意味で、強調して言われていると思われます。おそらく法師品の経文を指しておられると思いますが、これは実は重大な意味があると思われます。釈尊は、末法の法華経の行者こそが、実は久遠の仏様であられることを御存じであったということであります。

 

御登山参詣の功徳、三業を三徳に転ず

「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」(御書1569ページ)

 

煩悩・業・苦の三道は、どうどうめぐりをするゆえに「三輪道」ともいう、これは、世間のあらゆる人々が不幸になる方程式のようなものであるという趣旨の御指南を、御当代御法主日如上人猊下御指南に拝した記憶がございます。それを、法身・般若・解脱の三徳に転ずる。これは妙法信受の功徳によるほかありません。それはまた、法身・報身・応身の三身如来に通ずるものであり、これはわれら凡夫にもその一分が具わると、やはり猊下様は御指南あそばされております。

 

長患いの南条さんへの激励のお言葉

「参詣遥かに中絶せり。急ぎ急ぎに来臨を企つべし。是にて待ち入つて候べし」

 

病を乗り越え、障害を乗り越えての御登山を、仏様は待ち望んでおられます。一刻も早く、次の御登山を叶えたいものであります。今は差し当たり、令和三年三月二十二日に、家内と添書登山を、計画致しております。皆様も、是非、一日も早く次の御登山をかなえて頂けましたらこれほど有難いことはありません。