御聖訓一読集二十五日(令和二年)
 
「四皓が恵帝に侍奉せし」の一節に注目して
 
『観心本尊抄』
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けさしめたまふ。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと、太公・周公の文王を摂扶し、四晧が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり」(御書662ページ)
 
 

「四皓が恵帝に侍奉(じぶ)せしに異らざる者なり」について、御当代御法主日如上人御指南より要点をメモ:

 

秦の末、世を逃れて商山に隠れた、東園公,綺里季、夏黄公,甪里(ろくり)先生の四人。漢の高祖劉邦、柔弱な盈(えい)太子に譲位せず、戚(せき)夫人の子である如意の擁立を企図。盈太子の母、呂(りょ)皇后は、高祖の功臣張良と図り、四皓を盈太子の補佐役として迎えた。四皓の君子然たる威容にふれて、高祖は盈太子の廃嫡をやめて帝位を譲り、第二代恵帝とした。

 

引用あそばされた、日顕上人の御指南 ー『観心本尊抄』末文、二つの喩えの意味ー

 

「二つの喩えを挙げられた所以は、末法の衆生が色々な過去の悪業により、その人の因縁によって様々な苦難にあえぎ、生死の転路において苦しんでおる、その苦しみを正しく救い、正しく成仏の道を示してその人を仏とならしめるために、末法出現の四大菩薩こそまさしくその人たちを守護するのであるということをここにはっきり仰せになり、その四大菩薩とは末法出現の内証久遠の本仏・日蓮大聖人御自身であるということを、ここに最後にお示しになっておるのであります」(大日蓮平成二年七月号43ページ)

 

 

確認の意味で、「主題」と「二つの喩え」について整理すると

 

主題 =「四大菩薩の此の人を守護したまはんこと」

二つの喩え = 「太公・周公の文王を摂扶(しょうぶ)し」「四皓が恵帝に侍奉(じぶ)せし」

 

「此の人」とは、「一念三千を識らざる者」つまり、我々のような「末代幼稚」のことであります。瑣末な知識がどれほどあろうとも、法界の真理をまったく知らないという意味で、末代の幼稚と仰せです。三世に亘る成道を叶える方途など知る由もない。故にこそ、御仏が大慈悲を起こして妙法五字の内に一念三千の珠を嚢んで、我らの頸に懸けさしめたまうのであります。

 

そして、そのときに肖れるその守護の頑強さと心強さは、あたかも、文王が、太公望や周公旦によって摂扶された如く(これは名君に名参謀が使える鉄壁のイメージですが)、あるいは、前漢の高祖劉邦の後を継いだ、二代恵帝。実は、柔弱ゆえに危うく廃嫡されそうになった恵帝(盈(えい)太子)を、あの商山の四皓が守り支えた如くであると(これは守られる本人は柔弱ですが、守護する側が強烈な四賢人ですので、誰も手出しができなかったという感じ)。

 

私どもの器量からすれば、二つの喩えのうち、もちろん、後者の「四皓が恵帝に侍奉(じぶ)せし」が、より現実味を帯びて感じられますが、それでも守護される方は帝でありまして、しかも、それを守護する方々は、並ぶ者なき四大賢人なのです。その果報の類稀なる有難さが、否応なしに彷彿としてくるように感じられてなりません。