雪山童子の逸話
『松野殿御返事』といえば、別名、『十四誹謗抄』であります。松野さんが、聖人の唱える題目と愚者の唱える題目にその功徳の相違があるのかと問われたのに対して、日蓮大聖人は功徳に相違は無いが、ただし、法華経の心に背いて唱える題目であればその限りではないと仰せられて、十四誹謗をお説きあそばされます。その十四誹謗については何度か拝したことがありますが、今日拝読の御文は、さて、どこに書かれていたかしら、と思う一節でありました。そこで、改めて全体を拝してみました。すると、十四誹謗を説かれたあとで、松野さんに、少しでも自分より智慧ある人には(近くにおられた三位坊のことをさしておられると思われます)、御法門のことを問い尋ねて信仰を深め、功徳を重ねていきなさいとの仰せがあることに気がつきます。それは以下の如くであります。「何に賤しき者なりとも、少し我より勝れて智慧ある人には、此の経のいはれを問ひ尋ね給ふべし。然るに悪世の衆生は、我慢偏執・名聞名利に著して、彼が弟子と成るべきか、彼に物を習はヾ人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候」(御書1047頁)悪世末法の衆生は、説かれる法よりも、説く人で判断して、あんな人に教わったら恥ずかしいなどと思って、悪道に堕ちるから気をつけなさいと。さらに続けて以下のごとく仰せです。「何なる鬼畜なりとも、法華経の一偈一句をも説かん者をば『当起遠迎当如敬仏』の道理なれば仏の如く互ひに敬ふべし。例へば宝塔品の時の釈迦多宝の如くなるべし」(御書1047頁)この「鬼畜」という言葉を見て、「え?」と一瞬思いますが、ああ、これが雪山童子の故事への布石なのだな、と後でわかります。以下、松野さんのそばにいる三位坊に法門のことをよくたずねなさい、「依法不依人」なのですよ、と言われて、そのことを松野さんに噛んで含めて言い聞かせるために、大聖人様が等々と美古文調で語られるのが、鬼神の責めにもめげずに法を求め抜いた雪山童子の逸話であります。「此の三位房は下劣の者なれども、少分も法華経の法門を申す者なれば、仏の如く敬ひて法門を御尋ねあるべし。依法不依人此を思ふべし」(御書1047頁)いよいよ、物語の始まりです。「されば昔独りの人有って雪山と申す山に住み給ひき。其の名を雪山童子と云ふ。蕨ををり菓を拾ひて命をつぎ、鹿の皮を著物とこしらへ肌をかくし、閑かに道を行じ給ひき。此の雪山童子をもはれけるは、倩世間を観ずるに、生死無常の理なれば生ずる者は必ず死す。されば憂き世の中のあだにはかなき事、譬へば電光の如く、朝露の日に向かひて消ゆるに似たり。風の前の灯の消へやすく、芭蕉の葉の破れやすきに異ならず。人皆此の無常を遁れず、終に一度は黄泉の旅に趣くべし。然れば冥途の旅を思ふに、闇々としてくらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭とてともす火だにもなし。かヽる闇き道に又ともなふ人もなし。娑婆にある時は、親類・兄弟・妻子・眷属集まりて父は慈れみの志高く、母は悲しみの情深く、夫妻は偕老同穴の契りとて、大海にあるえびは同じ畜生ながら夫妻ちぎり細やかに、一生一処にともなひて離れ去る事なきが如し。鴛鴦の衾の下に枕を並べて遊び戯る仲なれども、彼の冥途の旅には伴ふ事なし。冥々として独り行く。誰か来たりて是非を訪はんや。或は老少不定の境なれば、老いたるは先立ち若きは留まる。是は順次の道理なり。歎きの中にもせめて思ひなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり、若きは先立つ。されば恨みの至って恨めしきは幼くして親に先立つ子、歎きの至って歎かしきは老いて子を先立つる親なり。是くの如く生死無常、老少不定の境、あだにはかなき世の中に、但昼夜に今生の貯へをのみ思ひ、朝夕に現世の業をのみなして、仏をも敬はず、法をも信ぜず。無行無智にして徒に明かし暮らして、閻魔の庁庭に引き迎へられん時は、何を以てか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏として生死の曠海を渡りて、実報・寂光の仏土に至らんやと思ひ、迷へば夢、覚れば寤。しかじ、夢の憂き世を捨てヽ寤の覚りを求めんにはと思惟し、彼の山に篭りて観念の床の上に妄想顛倒の塵を払ひ、偏に仏法を求め給ふ所に、帝釈遥かに天より見下ろし給ひて思し食さるヽ様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此くの如し。菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。」雪山童子が法を求めているところに、その求道心の強さを試そうと帝釈天が一計を案じます。その帝釈天が天より見下ろして、凡夫の菩提心がいかにはかないかを嘆きつつ、果たしてこの童子の菩提心は本物かと訝っているところであります。物語は以下のように続きます。「鎧を著たる兵者は多けれども、戦に恐れをなさヾるは少なきが如し。此の人の意を行きて試みばやと思ひて、帝釈鬼神の形を現じ童子の側に立ち給ふ。其の時仏世にましまさざれば、雪山童子普く大乗経を求むるに聞くことあたはず。時に『諸行無常、是生滅法』と云ふ音ほのかに聞こゆ。童子驚き四方を見給ふに人もなし。但鬼神近付いて立ちたり。其の形けはしくをそろしくして、頭のかみは炎の如く、口の歯は剣の如く、目を瞋らして雪山童子をまぼり奉る。此を見るにも恐れず、偏に仏法を聞く事を喜び、怪しむ事なし。譬へば母を離れたるこうし、ほのかに母の音を聞きつるが如し。此の事誰か誦しつるぞ。いまだ残りの語あらんとて普く尋ね求むるに、更に人もなければ、若しも此の語は鬼神の説きつるかと疑へども、よもさはあらじと思ひ、彼の身は罪報の鬼神の形なり、此の偈は仏の説き給へる語なり、かヽる賤しき鬼神の口より出づべからずとは思へども、亦殊に人もなければ、若し此の語汝が説きつるかと問へば、鬼神答へて云ふ、我に物な云ひそ。食せずして日数を経ぬれば、飢え疲れて正念を覚えず。既にあだごと云ひつるならん。我うつける意にて云へば、知る事もあらじと答ふ。童子の云はく、我は此の半偈を聞きつる事、半ばなる月を見るが如く、半ばなる玉を得るに似たり。慥かに汝が語なり。願はくは残れる偈を説き給へとのたまふ。鬼神の云はく、汝は本より悟りあれば、聞かずとも恨みは有るべからず。吾は今飢ゑに責められたれば、物を云ふべき力なし。都て我に向かひて物な云ひそと云ふ。童子猶物を食ひては説かんやと問ふ。鬼神答へて、食ひては説きてんと云ふ。童子悦びてさて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云はく、汝更に問ふべからず。此を聞きては必ず恐れを成さん。亦汝が求むべき物にもあらずと云へば、童子猶責めて問ひ給はく、其の物をとだにも云はヾ心みにも求めんとの給へば、鬼神の云はく、我は但人の和らかなる肉を食し、人のあたヽかなる血を飲む。空を飛び普く求むれども、人をば各守り給ふ仏神ましませば、心に任せて殺しがたし。仏神の捨て給ふ衆生を殺して食するなりと云ふ。其の時雪山童子の思ひ給はく、我法の為に身を捨て、此の偈を聞き畢らんと思ひて、汝が食物こヽに有り、外に求むべきにあらず。我が身いまだ死せず、其の肉あたヽかなり。我が身いまだ寒ず、其の血あたヽかならん。願はくは残りの偈を説き給へ、此の身を汝に与へんと云ふ。時に鬼神大いに瞋りて云はく、誰か汝が語を実とは憑むべき。聞いて後には誰をか証人として糾さんと云ふ。雪山童子の云はく、此の身は終に死すべし、徒に死せん命を法の為に投げば、きたなくけがらはしき身を捨てヽ、後生は必ず覚りを開き、仏となり、清妙なる身を受くべし。土器を捨てヽ宝器に替ゆるが如くなるべし。梵天・帝釈・四大天王・十方の諸仏・菩薩を皆証人とせん。我更に偽るべからずとの給へり。其の時鬼神少し和らひで、若し汝が云ふ処実ならば偈を説かんと云ふ。其の時雪山童子大いに悦んで、身に著たる鹿の皮を脱いで法座に敷き、頭を地に付け掌を合はせ跪き、但願はくは我が為に残りの偈を説き給へと云ひて、至心に深く敬ひ給ふ。さて法座に登り鬼神偈を説いて云はく『生滅滅已、寂滅為楽』と。此の時、雪山童子是を聞き、悦び貴み給ふ事限りなく、後世までも忘れじと度々誦して深く其の心にそめ、悦ばしき処はこれ仏の説き給へるにも異ならず。歎かはしき処は我一人のみ聞きて人の為に伝へざらん事をと深く思ひて、石の上、壁の面、路の辺の諸木ごとに此の偈を書き付け、願はくは後に来たらん人必ず此の文を見、其の義理をさとり、実の道に入れと云ひ畢って、即ち高き木に登りて鬼神の前に落ち給へり。いまだ地に至らざるに、鬼神俄かに帝釈の形と成りて、雪山童子の其の身を受け取りて、平らかなる所にすえ奉りて、恭敬礼拝して云はく、我暫く如来の聖教を惜しみて試みに菩薩の心を悩し奉るなり。願はくは此の罪を許して、後世には必ず救ひ給へと云ふ。一切の天人又来たりて、善哉善哉、実に是菩薩なりと讃め給ふ。半偈の為に身を投げて、十二劫生死の罪を滅し給へり」(御書1048)ここで逸話自体が締めくくられますが、「歎かはしき処は我一人のみ聞きて人の為に伝へざらん事をと深く思ひて、石の上、壁の面、路の辺の諸木ごとに此の偈を書き付け、願はくは後に来たらん人必ず此の文を見、其の義理をさとり、実の道に入れと云ひ畢って、即ち高き木に登りて鬼神の前に落ち給へり」のくだり、雪山童子が、自らの身命を捨ててでも法を弘めんとした、その化他行の姿に心打たれるものがあります。「石の上、壁の面、路の辺の諸木ごとに此の偈を書き付け、願はくは後に来たらん人必ず此の文を見」というところ、音声言語のみならず文字をもってまだ見ぬ人々へこの法を弘めんとする切々たる思いがこめられているように感じられます。締めくくりに、この物語の出典が実は涅槃経にある旨を記されて、再度、教訓を述べられます。「此の事涅槃経に見えたり。然れば雪山童子の古を思へば、半偈の為に猶命を捨て給ふ。何に況んや此の経の一品・一巻を聴聞せん恩徳をや。何を以てか此を報ぜん。尤も後世を願はんには、彼の雪山童子の如くこそあらまほしくは候へ。誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば、我が身命を捨て仏法を得べき便りあらば、身命を捨てヽ仏法を学すべし」(御書1050頁)この逸話から、我々は仏道修行においては、尊い御法門は、必ずしも常に美しく快い形で学べるものとは限らない。ときにそれは怖ろしく醜悪な姿をもって現れるときがある。「何なる鬼畜なりとも」と、日蓮大聖人は仰せなのであります。そのときにはきっと、自分の菩提心、求道心の強さを試されているということを忘れてはならないと思います。