ウチの小学校は、4年生から部活に強制入部することになっていた。

私はミニバスケット部に入部した。

あまり運動神経がいい方ではないけど、持久力はあるから頑張って練習していた。

入部してから、他の子は次々とバッシュ(バスケ専用のシューズ)を買ってもらっていた。

やっぱり普通の靴より靴の底が滑らない分だけ動きやすい。

けれど私はウチが貧乏だと知っていたので、なかなかバッシュを買ってと親に言えなかった。(ピリピリしていて言える雰囲気でもない)

その内に、私以外の子みんながバッシュを履くようになった。

プレーには明らかな差が出る。当たり前だ。
靴の底が滑るから、シュートの練習では必ずトラベリングをとられる。

それを何度も注意されるうちに、完全に先輩から目を付けられた。

最初に先輩から注意された時に「バッシュは買えないの?」と言われたから「…ウチは貧乏なんで買えません…」と言っていた。

なのに毎回「バッシュ買えよ!」と怒鳴られ、靴が滑るたびにボールをぶつけられた。

メガネを壊されたら母親に怒られるから、必死で顔に当たるのはよけた。

そのビクビクしたような態度は、イジメる側にとってさらにイジメたいという気持ちを増長させることを知らなかった。

バスケットが分かる人なら分かると思うけど、敵とボールの取り合いになる場面がある。
名前は忘れたけど、取り合う時間が何秒か経つと審判が笛を鳴らしてコートの真ん中で最初からスタートになるが、相手にすぐ取られてしまうと相手側のボールになる。

そのボールを取り合う練習の時、私にだけ力の強い背の高い先輩がついた。

クラスで二番目に背が低く一番痩せて力のない私は、当然その先輩には勝てない。

けれどボールを放すと怒鳴られるから必死でしがみつく。

ものすごく力の差があるので、先輩はしがみつく私を思い切り振り回す。

私はその練習で何度も何度も壁や床に叩きつけられ、全身アザだらけ…。

叩きつけられて転がる私を部員みんなが笑って見ていた。

そんな部活が毎日毎日続いた。

辞めたかった。
でも部活強制参加の学校だから無理だった。
(全校児童100人に満たない小さな学校の為、部活は女子はバスケット男子は野球しかない)

先輩も、顧問が見てる前ではやらなかった。

家に帰っても学校に行っても、安息の場がない。もう生きてることが地獄のように感じていた…
M子が転校して行った小学3年生の冬…、私は唯一の信頼できる友達を失った。


私が育った地域は雪が多い北国。

冬の休み時間はいつも校庭で雪だるまを作ったり、雪合戦をして遊ぶ。

M子がいなくなって、誰も私に「校庭で遊ぼ!」なんて声をかけてくれる子はいなくて、楽しく遊ぶ子たちを窓から見てることしか出来なかった。

M子がいたから、M先生のイジメにも耐えられたし、他の子がからかってきても気にしないでいられた。

何より家で両親のケンカを見ながら顔色伺いながら耐える日々も、M子と遊ぶことを唯一の楽しみに我慢できた。

…もう何にも楽しみがなくなった。

その頃ちょうど視力が落ちてメガネをかけ始めた私を「メガネブス」と聞こえるように囁く子。

生まれつきのアトピーでカサカサの肌を見て「触るな!移る!」と席をわざと離してバイキン扱いする子。

仲間外れにされてる私を見て笑う子。

みんな先生がいる前では絶対やらない。先生の前ではまるでいつも仲良くしているかのように私に普通に話しかけてくる。
ある日、ペンケースを忘れた隣の女子にペンと消しゴムを(半分に切って)貸した。

翌日もその次も返してくれなかったから、「こないだ貸したペンと消しゴム返してほしいんだけど…」と言ったら「私知らないよ。せんせぇ~!○○ちゃん私のこと犯人扱いする~!」って言われた。

私は先生に怒られた。

結局ペンは返してくれないままうやむやにされた。

「人は平気な顔をして嘘がつけるんだ…」と知った。

元々痩せていたけれど、私はその頃からますます痩せていった…。


小学4年生になって、運良く担任が変わった。

M先生と離れたら、少しは楽になるかもしれないと淡い期待を抱いていた。

…けれど、そんな期待は見事にボロボロに砕かれた。

小学4年生になって、これまでよりもさらにツライ学校生活になるとは、まだ想像もしていなかった…。
小学校に入って1、2年はすごく楽しかった。

担任の先生がイイ人で、厳しかったけど大好きだった。

でも…3年で担任が最悪な人に変わった。

とにかく気分屋で、差別がヒドイM先生。

ちょっとしたことで児童に罰を与える。でもお気に入りの児童には罰は与えない。

M先生が罰を与えるのはM先生の中でイジメやすいと見なされた児童たち。

・声が小さく反発しない児童
・大人しい児童
・児童同士でもからかわれやすい児童
・すぐ泣く児童

私は大人しかったし声も小さくて、当然反発もしなかった。

M先生の恰好の餌食となった。

授業で問題が解けないと顔にシールを貼られた。下校するまで取ってはいけないと言われた。

みんなに笑われ、からかわれた。

給食を食べるのが遅いだけで後ろでずーっと罵倒された。

「お前はみんなに合わせて早く食べることもできないのか。協調性のない人間は大人になっても役に立たないんだよ。簡単な問題も解けない、走るのも遅い、食べるのも遅い…本当に何にも出来ない子だねぇ。」
他にも思い出すのも嫌になる言葉をずーっと食べ終わるまで言われ続けた。

…私は泣きながら給食を食べた。

先生の餌食になった児童に対して、なぜか他の児童は「コイツはイジメていいんだ」みたいな考えに変わるらしい。

でも、唯一の救いは一人の友達だった。

その子(M子)はM先生のお気に入り。頭も良くて運動神経も良くてハキハキした元気な優等生だった。

M子は運動が苦手な私の練習にいつも付き合ってくれた。「練習すればできるよ。一緒に頑張ろう。」と私をいつも励ましてくれた。

跳び箱・鉄棒・縄跳び…、できるようになったのは全部M子のおかげだった。

けれどそんなM子が3年生の冬、突然親の都合で転校してしまった。

何も聞いていなかった私はショックだった。

唯一の友達を失って、私はその後さらにツライ学校生活を送ることになる…。