平和記念公園 原爆供養塔
1955(昭和30)年8月5日に広島市の広島戦災供養会によって設置されたという原爆供養塔です。
設計者は石本喜久治さんだそうで、桃山時代の御陵を模した円形の土盛りの頂点に石造の相輪の塔が据えられていました。
爆心地に近いこの付近には遺体が散乱し、川から引き上げられたものなど、無数の遺体が運ばれ、荼毘にふされたのだそうです。
1946(昭和21)年市民からの寄付により、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、その後10年経った1955(昭和30)年に広島市が中心となって、老朽化した遺骨堂を改築し、各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めたとの事でした。
内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められているそうです。1946(昭和21)年以後、毎年8月6日にはこの供養塔の前で、さまざまな宗教宗派合同の供養慰霊祭が営まれ、毎月6日には関係者による例祭がとり行われているそうです。
設計者は石本喜久治さんだそうで、桃山時代の御陵を模した円形の土盛りの頂点に石造の相輪の塔が据えられていました。
爆心地に近いこの付近には遺体が散乱し、川から引き上げられたものなど、無数の遺体が運ばれ、荼毘にふされたのだそうです。
1946(昭和21)年市民からの寄付により、仮供養塔、仮納骨堂・礼拝堂が建立され、その後10年経った1955(昭和30)年に広島市が中心となって、老朽化した遺骨堂を改築し、各所に散在していた引き取り手のない遺骨もここに集め納めたとの事でした。
内部には納骨堂があり、一家全滅で身内の見つからない遺骨や氏名の判明しない遺骨約7万柱が納められているそうです。1946(昭和21)年以後、毎年8月6日にはこの供養塔の前で、さまざまな宗教宗派合同の供養慰霊祭が営まれ、毎月6日には関係者による例祭がとり行われているそうです。