吉水園(よしみずえん)
レストラン茂美路(もみじ)にあった安芸太田町のパンフレットに、温井ダムから加計の方に下りて行ったところに「吉水園」と書いてあり、歴史ある日本庭園と茅葺き建築があるのとの事で、行って見る事にしました。加計町内をカーナビを頼りに行ってみたところ、細い路地に小さな看板が出ていました。
吉水園は江戸時代半ばの天明元年(1781)の春、加計隅屋16代当主の佐々木八右衛門正任が、この辺りの景観と地形に着目し、山荘として建設したそうです。(現在、加計隅屋24代当主の加計正弘氏所有)古記録によって建設の概要をみると、まず庭園拵えは同年9月17日から40日間を費やし、ついで翌天明2年8月には園池を前に入母屋造茅葺の吉水亭が落成したとのことです。同年12月には、たたらの神様金屋子社も建立。隅屋は江戸期を通じて中国地方でも最大手のたたら鉄山師であり、その繁栄祈願のため出雲国比田から勧請し、今上の段に琴平社、稲荷社とともに一宇に覆われ、金屋子神社境内には加計隅屋500年祭の碑があると書いてありました。昭和26年(1951)県名勝の指定を受けたそうです。
また、昭和27年(1952)「吉水園のモリアオガエル」として県の天然記念物に指定されたそうです。モリアオガエルは水辺の樹上に産卵するという、奇妙な習性をもつ青蛙の一種であり、ここ吉水園では5月上旬から6月下旬にかけてが産卵期で、主に深夜池の上に張り出した木の枝に体の大きな一匹の雌を数匹の雄が抱きかかえて、共同で直径10~15cmの真白い泡状の塊をつくり、その中に約300個の卵を産みつけるそうです。吉水園のように観察の容易な繁殖地は全国的に見ても珍しいとの事でした。
残念ながら、今日は閉館で、入口には鍵がかかっていました。営業しているのは、6月第1・2土・日曜、11月第2・3土・日曜のみだそうです。
吉水園は、廻遊式の庭園ですが、あきらかに吉水亭からの遠望を意図しており、薬師堂の森を右にして、前方はるかに太田川と山並みを見渡す中二階(高間)からの眺望(借景)が、観賞のポイントとなっているそうです。
吉水園の前の坂道を上がっていくと、吉水亭をほぼ正面から見ることが出来ました。数寄屋風の吉水亭は、茅葺(かやぶ)き、入母屋造りで、内部は2畳・4畳に分かれ、高間に作られた2畳からは、谷間を流れる太田川と山並みが一望できるそうです。また、亭内には「吉水亭」(永平寺竹広大禅師筆)をはじめ「遊戯海」(荻生徂徠筆)、「敲月」(厚宅筆)の額が掲げられており、雨戸上部の欄間には菊水・水車・水仙の透彫、物入の細長い扉には紅葉狩の大和絵を見ることができるとの事です。
さらに坂道を上がっていくと、小さな門と大きな杉の木が見えてきました。この杉は夫婦杉といわれているそうです。
杉の木の下には、松林庵薬師堂
が見えました。松林庵薬師堂は天明3年の正月にが落成し、その後、天明8年(1788)から文化4年(1807)に至る20年間に京都の庭園師清水七郎右衛門の手によって、三度にわたる改造修理が行われたそうです。清水七郎右衛門は、浅野家泉邸(縮景園)の改修も手懸けており、造園の大家であったといわれているそうです。


