鞆の浦 太田家住宅(鞆七卿落遺跡) | 九代目七右衛門の徒然日記

鞆の浦 太田家住宅(鞆七卿落遺跡)

対潮楼を見た後は、太田家住宅に向かいました。鞆の浦らしい細い路地を抜けていくと、保命酒店のとなりに太田家住宅はありました。
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太田家住宅は、江戸時代に福山藩の専売品である保命酒の製造を行っていた中村家の建物であり、明治時代に太田家の所有になったそうです。醸造倉など9棟が立ち並び、国の重要文化財に指定されているとの事です。
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長州藩など参勤交代の西国大名の宿舎でもあり、海の本陣としての様式を整えているそうです。母屋入り口です。
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尊王攘夷派の旗頭であった三條実美ら7人の公卿は、1863年8月18日の政変後長州を目指し、20数隻に分譲した400人を越す大船団で、8月23日の夜鞆ノ浦に錨を降ろし、その夜のうちに強風をおして上関へと出航して行き、翌年1864年に、再び京都を目指した三條実美らは7月18日から20日まで、保命酒屋(現太田家住宅)に宿泊したそうです。一行は20日に鞆ノ浦を発ち、京を目指して21日に多度津へ入港したが、そこで蛤御門の変を知り、急遽鞆ノ浦に集結し、再び長州へと下っていったと書いてありました。
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入口の上には酒屋のシンボルである杉玉が飾ってありました。
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入るとすぐ左手が受付になっており、受付をしてくれた方が出てきてそのまま案内をしてくれました。すると受付には別の方が入って次の人を受付けていました。何名かの人が交代で受付と案内をするシステムになっているようです。入場料は400円でした。
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受付の横には保命酒に入れる16種類の漢方薬が並べられていました。
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保命酒は餅米を主原料に、米麹、焼酎を原料に醸し、味醂酒を造り、16種類の漢方薬を使って醸造した薬酒だそうです。1659年中村吉兵衛が藩に願い出て、”焼酎製名酒”の製造販売を始め、1710年藩から醸造製造販売権が与えられ、鞆ノ浦の名産品としての地位を確保したとの事でした。頼山陽や朝鮮通信使など多くの文人や外国使節にも愛飲されたのですが、明治になり専売権がなくなると、保命酒製造業者が増加して競争が激化し、1901年 には太田家での保命酒の製造を終えたそうです。現在、鞆の浦には保命酒店が4軒あるそうです。
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入口側を振り返ったところです。跳上げ式大戸(はねあげしきおおど)といって、ロープで上に吊上げる方式の大戸となっていました。跳上げ式の大戸は、引き戸式と違って、保命酒を積んだ大八車が奥の蔵から段差なく出入できるように造られたそうです。18世紀に既にあったバリアフリーの発想に驚きました。
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受付の反対側は帳場になっていました。
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土間は、瓦と漆喰の市松模様となっていました。当時としては洒落た造りです。
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家の人の部屋だそうです。
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竈(かまど)です。一段下に下りて火をくべるようになっています。竈の後ろは昔、すぐ崖で海だった為、海から吹く隙間風でうちわであおがなくても竈の火が消えず、調理が出来るシステムになってるとの事でした。炊事場には海水を引く排水溝もありました。
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裏側の出入口も跳上げ式大戸ですが、こちらは下ろした状態でした。
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この裏口から外に出ました。
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外に出るとまず正面に西蔵がありました。中央には井戸があります。
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右手にはトイレと風呂がありました。タイルがとてもお洒落です。
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なまこ壁は中に4つの点があり、あまり見られないタイプです。
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その向かいは釜屋です。
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焚口の上を見上げると、煤で黒光りした小屋組みが見えました。
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南保命酒蔵です。とても広々とした蔵でした。18世紀後半の建物だそうです。左に並んでいるカメは全て備前焼で至る所に備前焼の花瓶などが飾られていました。
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2階がありましたが、物置になっており見学は出来ないとの事でした。
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北保命酒蔵の奥には、木桶で仕込んだもろみを搾る「舟」と呼ばれる入れ物がありました。上に渡してある丸太の反対側に石の錘がついており、てこの原理で搾るそうです。
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東保命酒蔵です。
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19世紀前半に建てられたという新蔵の出口です。この横に、北土蔵と言う建物があったのですが、写真展の準備中との事で、見学することが出来ませんでした。
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外から見た、庭と茶室です。
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ここで再び主屋に戻り、今度は室内を案内してもらいました。主の部屋だそうです。家のものの部屋は壁が朱色に塗ってあるとの事でした。
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茶室です。
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茶室の縁側は、羽目板の下が道具入れになっているそうで、羽目板を持ち上げるための金具がついていました。
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庭の向こう側には、お風呂が見えました。
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雨戸は収納式になっています。
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15畳の大広間です。
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ここには外から入ることの出来る専用の入口がありました。この出入口はお殿様専用との事でした。
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裏庭も趣がありました。
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県の遺跡「鞆七卿落遺跡」(ともひちきょうおちいせき)の事が書いてありました。七卿とは、三条實美、東久世道禧、壬生基修、四条隆謌、錦小路頼徳、澤宣嘉の七人の公卿のことであるそうです。
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釘隠しは鶴の飾りになっていました。
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造り付けの棚「みずや」です。いわゆる食器棚の事だそうです。漢字で書くと「水屋」でしょうか?
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大広間からは、海と庭が見れるようになっているとの事で、ベストポイントに立ってみました。看板の向こうに海が見えます。
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そして振り向くと庭が見えます。贅沢な空間です。
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帳場まで戻ってきました。
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この後、案内の方にお願いしてもう一度、保命酒蔵を見せていただきました。他の見学者の方々の倍くらいの時間をかけて説明してもらいましたが、1日居てもまだまだ新たな発見があるのではないかというくらい、広くて、凝った造りの、立派な建物でした。