鞆の浦 福禅寺 対潮楼
むろの木歌碑を見た後は、福禅寺(ふくぜんじ)の対潮楼(たいちょうろう)に行きました。むろの木歌碑の横の坂道を上っていくと、すぐ右側に看板がありました。
福禅寺は、村上天皇の命により空也上人によって建立されたお寺だそうです。
拝観料は200円でした。中に入ると品のいいおば様が、とても詳しく丁寧に説明してくれました。
本堂に隣接する客殿は「対潮楼」と呼ばれ、当初は朝鮮通信使の宿泊所として利用されてたのですが、その後は国の偉い方をお泊めする迎賓館のような役目もはたしていたのだと教えてもらいました。
対潮楼から見る弁天島、仙酔島、それに瀬戸内の景観は最高です。
仙酔島は、島からみる美しい景色を見ながら酒を飲んでいた仙人が、酔ってうたた寝をしてしまい、その姿を人間に見られてしまった(仙人は人間に見られてはいけないのに)という逸話がある島で、仙人も酔ってしまうほど美しい島ということで仙酔島と呼ばれるようになったそうです。
正徳元年(1711)の7代将軍家宣の襲職祝賀時、ここに泊まった従事官 李邦彦は、その景色を激賞し、「日東第一形勝」と墨書したそうです。
また延享5年(1748)の9代将軍家重の襲職祝賀の第10回通信使の正使洪啓喜は、この客殿を「対潮楼」と命名し、洪景海が「対潮楼」の書を残したことから「対潮楼」と呼ばれているそうです。床の間です。
色々な古い品が展示してありました。
菊の紋章の欄間はとてもめずらしいそうです。
室内から福禅寺のほうに歩いていくと、上部に福禅寺の軒が見え、対潮楼が後から増築されたものであるという事がよくわかりました。
対潮楼を含めた福禅寺境内は現在 国の史跡に指定されているとの事でした。お寺によくお参りしてから、次の目的地、太田家住宅に向かいました。





