重要文化財 旧中村家住宅 | 九代目七右衛門の徒然日記

重要文化財 旧中村家住宅

今日は、10月27日に「ぽかぽかランド美麻」に行った時に休館日で行けなかった、重要文化財 旧中村家住宅に行ってきました。旧中村家住宅は、ぽかぽかランドとは道を挟んで反対側、県道31号線(長野-白馬オリンピック道路)の大町市街と白馬行きの分岐のところにあります。建坪は84坪、間口14間、奥行6間の茅葺き屋根の立派な建物です。

主屋は元禄11年(1698)に建立されたことがわかっており、長野県内で建築時期が明確な現存民家では最古であるという事で、旧美麻村(現大町市美麻)で保存修復工事を行い、平成9年に国の重要文化財に指定されています。

入場料は300円、小中学生は150円、休館日は月曜日と火曜日です。

門を入ってすぐ右側に別棟の受付があり、ここで入場料300円を払い、300円のパンフレットを購入しました。

出入口は並べて設けられた左右二つの大戸です。人の出入口は左の大戸に設けられた潜り戸からですが土間での仕事や大物の出し入れには大戸全体を開けて使ったそうです。右側の大戸は牛馬の出入りに用いたもので、上部には採光障子があります。

入って正面は馬屋です。馬屋の床は土間より30㎝掘り下げてあり、稲藁や豆がらを敷いて牛馬に踏ませ肥料としていたそうです。

横には「氷鉄」と呼ばれる雪道を歩くための馬用のアイゼンが掛けてありました。

右側は鞍置場になっており、鞍や馬屋道具、杵(きね)や臼(うす)なども置かれていました。

入って左側には土座(どざ)と台所が広がっていました。ここは玄関兼作業場で、「じょうべ石」という平たい石は藁打ちに使われたものだそうです。中央には地炉(じろ)と呼ばれる囲炉裏があり、荷炊きや採暖、物干しの場であったそうです。

台所の横は麻掻場(おかきば)となっており、中村家の麻畑でとれた麻の表皮を掻き落として白い麻に精製する作業を行う場所であったそうです。

台所と麻掻場(おかきば)の上は中二階になっていて、夏に刈って乾燥された麻を、冬の麻掻きまで貯蔵していたそうです。

入口の左側は窓下(まどした)と呼ばれ、台状の板敷きとなっており、ここで麻の梱包作業を行っていたそうです。また南側の乾燥した場所であるため、器物の保管場所としても使用していたそうです。

靴を脱いで上に上がると、囲炉裏のある茶の間がありました。茶の間は婚礼や法事などの式場としても用いられており、来客用の部屋として使われていたそうです。普段家族の食事は台所でとっており、茶の間で食事をするのは正月だけだったそうです。

茶の間には中村家と建物を紹介した15分ほどのビデオが上映されており、中村家の歴史や保存修復工事の様子、各部屋の紹介がわかりやすく説明されていました。

茶の間の上には神棚と巻き俵(まきだわら)がありました。大晦日に藁をすぐっておき、元旦に半日かかって前年の物の上に麻縄で巻き上げていったそうです。あまり太くなってしまったので、近年では前年の物を外して巻き直していたそうです。

茶の間の隅には囲炉裏で燃やすための薪置場がありました。

茶の間の上は太い梁をそのまま表しており、囲炉裏の煙がそのまま屋根の上の煙抜きまでいくようになっています。

小座敷(こざしき)は家族の寝室として使われていたそうです。昼間はほとんど使わないため、土壁と板戸となっています。

茶の間と中の間の境の入側(ゆりか)です。「いりかわ」がなまって「ゆりか」になったそうです。武士が入る中の間から座敷にかけてと、農民や商人の居住空間である茶の間や土座を区別するための空間であり、江戸時代の士農工商の厳しい身分制度の象徴的な部屋だそうです。

式台です。中村家は庄屋や組頭などの村役人をしていたので、武士が直接座敷に入るための入口だったそうです。

式台から入った正面が中の間です。この中の間と奥座敷は、藩の武士などが来宅した時だけに使う特別な部屋だったそうです。

奥座敷です。床の間と脇床を設け、長押を回し、竿渕天井を張ってあるという丁寧な造りです。ここは武士専用の部屋で、冠婚葬祭に奥座敷を使うようになったのは武家社会が終わって明治時代になってからの事だそうです。

泉水の庭と湧き水の池です。

門口は両開きの扉になっています。

左側には来客専用の湯殿(お風呂)が、

右側には(上便所)来客用の便所があります。

続いて一旦表に出て、土蔵に向かいました。

土蔵は安永9年(1780)に建立されたそうです。この土蔵も長野県内の建築時期の明確な土蔵では古い方に属し、主屋と同じ平成9年に国の重要文化財に指定されています。

外側は中塗り仕上げの土壁で、屋根は茅葺きの置き屋根になっています。

土蔵の入口です。内側には土壁の戸もあります。

間口6間、奥行4間の建物で、栗の側柱が3尺おきに建てられて、柱には5段ほどの貫が通されています。我家もそうですが、この抜きを利用して稲藁や豆柄の乾燥が行われていたはずです。

中に入ると正面に裏白戸が展示してありました。この戸は中の貯蔵品を火災などから守るために「水」という字が大きく書いてありました。

内部には中村家に伝わる品々が展示されていました。

土蔵は2階建てになっています。

外に出ると西側には十王堂という祠(ほこら)がありました。

(ほこら)の前には、道祖神がありました。

歴史のある建物を見て、式台や座敷の構造など実家との共通点や、間取りの由来などもわかりとても勉強になりました。身近にこのような重要な建物が公開されているのにあまり一般に知られていないのが大変残念です。もっと多くの人に見てほしいと思います。