叔父の書いた自分史「山に生きる」を読んで | 九代目七右衛門の徒然日記

叔父の書いた自分史「山に生きる」を読んで

白馬の爺さん(私の父)から、大町市に住む叔父が書いた自分史「山に生きる」という本が送られてきました。今年80歳になった叔父が、娘さん(私の従姉)の力を借りて今年の3月に発行したもので、傘寿を記念して叔父を取り巻いてくれた方々に感謝を込めて贈ったそうで、私にも一冊頂きました。全179ページに叔父の出生から現在に至るまでの事が事細かに書き綴ってありました。

叔父とは、冠婚葬祭のときや、高校時代に叔父が働いていた七倉山荘に行った時に少し話したくらいで、あまり話をしたことがなかったのですが、この自分史を読んで、苦労人であり、偉大な方であることを初めて知りました。叔父の経歴を簡単に書くと、昭和3年に長野県北安曇郡平村(現在の大町市平)に9人兄弟の二男として生まれ、旧制大町中学校(現在の大町高校)を卒業後、昭和20年旧制盛岡農林専門学校(現在の岩手大学農学部)に競争率5倍の難関を突破して入学。卒業後は昭和24年に大町北高校神城分校の教員を1年勤めた後、昭和25年 念願であった大町営林署に転職。昭和26年人事院の公務員試験に首席合格し林野庁札幌営林局に採用、静内営林局、余市営林署を経て、昭和29年に長野営林局に転勤、土木課勤務を経て、昭和33年に野尻営林署殿担当区主任、昭和34年に駒ヶ根営林署経営課長、昭和35年長野営林局土木課調査設計係長、昭和39年 伊那営林署管理官、昭和41年 長野営林局治山課課長補佐、昭和46年 妻籠営林署長、昭和48年 北見営林局厚生課長、昭和49年長野営林局研修所長、昭和51年 同 広報室長、昭和52年 松本営林署長、と営林局に32年勤務して昭和57年に退職。退職後は地元大町市に戻り、第一自治会長兼公民館長を務めながら、高瀬入観光株式会社を立上げ初代社長に就任。社長を務める傍ら、昭和58年から大北地区(大町市と北安曇郡)の保護司、昭和62年から大町市の教育委員長も務めた。高瀬入観光では主に七倉山荘の経営にあたり、多くの登山客に奉仕し平成14年、22年間勤めた高瀬入観光の社長を退き、引退した。平成15年から病を患い、ベッドの傍らにノートを置いて昔のことを書き留めていったのを従姉がまとめて今年の3月に発行したとの事でした。

営林署長をしていたという事と、七倉山荘に勤めていたというのは聞いていましたが、教育委員長であった事、高瀬入観光の社長であった事は、この本を読んで初めて知りました。また輝かしい経歴の陰にはたくさんの苦労があったことも書いてあり、私の父や姉の事も書いてありました。平成18年には叔母が亡くなり、叔父の体調も思わしくないと聞いていますが、いつまでも元気で長生きしてほしいと思います。