カダフィ大佐の演説 | michyのブログ

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ダラダラした日常で興味を持ったことを、ぼちぼちと書きなぐります。

チュニジア、エジプトに続いて、リビア情勢が混沌としてきていますな。
リビアと言えば、80年代のハリウッド映画では思いっきり悪役にされておりました。バック・トゥ・ザ・フューチャーでも思いっきり「やばい!リビア人だ!」とか言ってましたな。まぁ、最近放送する場合の吹き替えは「やばい!テロリストだ!」に置き換えているようですが。


リビアの体制、カダフィの評論については置いておくとして、

ニュースで事情通の評論家がカダフィ大佐が行った威勢のいいTV演説を見てこう言っていた。


「結論から言うと、カダフィの体制が残ることは無いです。彼は演説の際にはいつも民衆の前に立って行っていた。今回はTV演説です。つまり、民衆前に立って不測の事態が発生するのを恐れている。」


おお、なるほど。そういう点を注目するのか!

と同時に、以前見たBSアニメ夜話 の機動戦士ガンダムの回で、ギレン・ザビの演説について岡田斗司夫が語っていたのを思い出した。

曰く、
ギレンの演説は3回描かれている。
1回目は、シャアの「坊やだからさ」が有名なガルマ・ザビの追悼演説。これは、全世界(地球+全コロニー国家)に向けて放送された。
2回目は、ソロモン攻略戦のとき。この場面は細かい描写はされず、ナレーションで戦闘中の宙域に流されたとある。
3回目は、ア・バオア・クーの戦闘のとき。「あえて言おう。カスである!と。」が有名なこの演説はジオン軍内部に向けて行われた。

これらの演説、それぞれ口調はあの銀河万丈節とも言える威厳のある演技で行われている。違うところは、その演説の対象が徐々に小さくなっている点だ。最初は全世界を向こうに回して威厳を見せつけているのに対し、最後は自分達を守る兵を叱咤激励しているにすぎない。これを、ギレンの演技自体を変えてしまうといかにも小悪党に見えてしまう。演技は変えず演説の対象を小さくすることで、ギレンの人物像はそのままに、ジオンとザビ家の苦境を見事に表現している。


なるほど!
富野由悠季監督恐るべしである。そして、それを指摘したオタキングも


ギレンは実妹のキシリアに銃殺され、そのキシリアもシャアに討たれてザビ家とジオン公国は崩壊した。
カダフィ大佐とリビアの現体制の行く末や、如何に。



追記

リビアの正式名称は大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国だそうです。長いですな。