最近私のうちはいそがしい。
次々にいろいろなことがやってくる。
こっちで子供が生まれ、
あっちでおじさんが病気に・・。
どれも私に直接降りかかってきた問題では関係ない。
両親の家や、親戚家族に起こったことだ。
そんな中、叔父が肺がんであることを今回初めて知らされた。
ショックな事実だった。
私が育った田舎はとても辺ぴなところだ。
隣のうちに叔父は住んでいて。
私が成長するのを傍らで見守り続けてくれた。
叔父には大変御世話になった、
彼はいつでも、とてもやさしかった。
まじめな性格の農民で、
怒った姿は一度も見たことがなかった。
農閑期は大工仕事をやっていた。
大工の父が彼に手ほどきをした。
小さい頃、よく父が叔父を「そうじゃない!だめだ、だめだ」といっては、
しかっていたのを覚えている。
彼はだまって聞いていた。
子供ながらにかわいそう・・とおもっていた。
高校を卒業する頃には、叔父に会う機会もなくなった。
その後は中国もだんだん豊かになって、
何もかもがめまぐるしく変化していった。
私の両親もこの村を出て外地で出稼ぎ生活していたこともあり、
故郷であるこの村へ戻る回数も極端に減った。
叔父はたまに私たちのところに寄ってくれた。
とても気さくで変らない姿だった・・・。
その後、たまに父から叔父の消息を聞いたりはしていた。
ここ数年は暮らしがよくなく、
苦労して育てたあげた2人の子供、
それでも、19歳になる息子は、
親孝行で広州にある工場に勤めて
1ヶ月1~2千元を稼いでいるとのことだった。
一方、娘はというと、高校卒業後大学に入れず、働きに出た。
働き口で何度かの恋愛をしたがどれも成就せず、
ある男性との間に子供が出来てしまい、
子供だけを叔父たちに預け、
音沙汰なくなった。
今は叔母が面倒を見ている。
農作業から子供の世話まで何処までも
苦労を背負わなければ運命なのか。
さらにこのいとこ(叔父の娘)、
交際中の彼と8,000元の借金をし、バイクを買った。
買った後は、2人ともどこかへ行ってしまって行方がわからない。
残された借金はおじが返済をすることになった。
おとなしい性格で、奥さんにも気を使うほどだ。
ただただ、朝から晩まで愚直に田を耕し、
時にものを売ったりして生計を立ててきた。
こうした長年の疲労がたまってか、
体に違和感を感じ、力が入らず咳き込むようになった。
田舎ではちょっとした病気はたいしたことはないと見過ごしてしまう。
食事も質素だから栄養のあるものなど食べてはいなかった。
不調は徐々に重度を増し、
去年の秋、とうとう手足が腫れ、ご飯も食べられなくなった。
立つのもやっとなほどやせ細った。
寝たきりになって1ヶ月になる。
去年、叔父は5000元の借金を返した。
しかし体への負担は大きかった。
叔母もこれと言ってお医者さんに連れていくこともなかった。
見てもらっていさえすれば、情況は違っていたかも知れない。
1ヶ月後、おじの具合が少し良くなった。
しかし、胸の痛みなどの不調は相変わらず残っていた、
この期間、叔父は農作業をすることもなく、
力が入らない素手で竹を割って
それらを運ぶという作業がやっとだったらしい。
今年に入ると完全に仕事ができなくなった、
顔は青白く、体は痩せきって、咳き込んでいた。
病院での検査後、肺に腫瘍ができていた。
急性のもので、増長しており、リンパ腺まで大きく腫れていた。
肺がんの中期らしい。もう少し早く治療をしていれば・・。
だが、叔父叔母に手術するお金などない。
今はできる治療を続け、栄養のあるものを食べることぐらいしかできない。
私は父からこの話を聞いて泣いた。
これではあまりにも叔父がかわいそうだ。
私たちは一度田舎へ帰って、叔父を見舞うことに決めた。
私が通った小学校 小学校まで通学路 昔、見慣れた光景に・・
医療の専門学校を卒業してからは、
一度も故郷へ帰ったことがなかった。
9年ぶりになる。
どう変っているのだろうか、
それとも昔のままなのか。
私は幾度となく夢の中でも遭遇してきた故郷の風景。
やっと今日、その日が来た。大人になって、
育ててくれたおばあちゃんの供養もしたいとずっと思っていた。
今回の叔父のお見舞いと兼ねて、
その願いもかなった。
私と妹、父、父の兄弟の4人で車を貸切り、
生家へと向かった。
昔は道路などなかったが、
今は、立派な道路に舗装されていた。
1時間後、車はかつて私が通った小学校付近までやってきた。
残念ながら下りてみてみることは出来なかった。
山奥深まるにつれて私と妹はとても懐かしい風景を目にしていた。
毎日学校まで歩いて通った通学路・・・。
変化は思いのほか大きかった。
どの家も2階建てになっていた、
昔は全部土の家だった。
道も広くなっていた。
知っている村ではあるが、名前はなんだったのか、
妹のフェンフェンは、私よりよく知っていて、
通過するいくつかの村の何個かはまだ覚えていた。
車は私たちの村へ入る山の入り口までたどり着いた。
運転手さんはこれ以上奥に入るのをいやがったので、
ここからは荷物をもって歩いていった。
坂道を歩くと、家屋が見えてきた、
そう、この村だ!
名前を高山寺。
名の通り高度は高めに位置し、四方山に囲まれている。
叔母が私たちを迎えてくれた。
嬉しくて、「おばちゃん、おばちゃん」と声を高ぶらせて呼んだ。
それから昔からの隣り近所の人たち。
○○おばちゃん、こちらは××おじちゃん・・。
みんなも私たちが帰ってきて嬉しそうだった。
「リンリンちゃんも、フェンフェンちゃん、久しぶりだね。
もうこんなに大きくなっちゃって・・。もうわからなくなっちゃったわ・・。」
あたりを見ると、やっぱりすこし変っていた。
まわりには何軒かの家が並んでいたが、
雑草がかなり高くまで生えていて、住んでいる人は少ない印象を受けた。
若い人たちはみんな外へ働きに出てしまう。
私たちの実家は村の中でも一番辺ぴな山の片隅にある。
もうとても懐かしい馴染みの光景が並んでいる、
田んぼ、山・・、あの丘にある田んぼはうちので、
あの丘はおばさんの家、一つ一つ全部覚えている。
やっと着いた!
ここだ!家の中を見てみると、昔と変わりない、
土壁のレンガ立て。
左の山は、昔、牛を放しに出かけたところ、
右は栗拾い、サツマイモ掘り、
こんなにも鮮明に覚えているだなんて、
私は感極まっていた。
隣りの家は老夫婦がすんでいる。
娘は出稼ぎでいない。
私たちの賑やかな声を聞いて出てきた。
「リンリン、フェンフェン!戻ってきたの?!」
私たちも興奮した。
78歳、体も健康で、変わりない様子だった。
ただ、髪は白髪になっていた。
「リンリンもフェンフェンももうすっかり大人になって、
こんなに可愛くなって・・、外であってもわかんないわ。」
お父さんに向かって「いい娘に育って、よかったね」
と褒めていた。
そして、叔父も出迎えてくれた・・
こんなに痩せて・・。
「お帰り、大変だったね」とねぎらってくれた。
・・心が痛んだ・、鼻の奥がツンときた。
部屋の中を見ると、どの部屋も懐かしさにあふれていた。
私たちがかつて寝起きした部屋は
叔母のの部屋になっていた。
ちょっと湿気が多く、古くて壊れかけているけど、
私にはやさしく、温かかった。
私の祖母が使っていた部屋を見た。
10年来見ることがなかった祖母の生前の写真を見ることができた。
私の誇り、あんなに優しく微笑んでいる。
祖母はもういない、
私はこんなに大きくなった。
今回はこうしておばあさんに手を合わせ、
私たちの平和と健康、ご加護を祈った。
私は寝室を見に行った。
今も、やっぱり・・ある・・、
赤いベットに赤いタンス。
裏口もやっぱりあの裏口。
ドアには丸い穴があり、今もそのままである。
この風景を何度夢に見たかわからない。
夢の中ではこの裏口に出て、
その穴に手を入れる、ノブをゆっくり回して・・・、
そして誰か別の人が入ってくる。
それから今初めて知った、
思ってもみなかったこと。
フェンフェンもこれと全く同じ夢を見ていたのだ!
・・私たち姉妹はここに、
この家に10数年間住んでいた。
魂が夢と夢を通して繋いでいるのか。
故郷の空気は新鮮で、
とても澄んでいた。
めいいっぱい吸ってみる。本当に気分は爽快だ。
屋敷の裏側は昔と同じ。
草木が高く生えていた。
この草むらにかくれんぼしていた。
裏にあった桃の木はなくなっていた。
小さい頃はその木に登った。竹林も生い茂っている。
畑も相変わらずで、働き者の叔母や隣りのおじいちゃんおばあちゃんが
たくさんの野菜を作っていた。
屋敷前の池はまだあった。
でも今ちょうど稲刈りが終わった頃、
水はほとんど入っていなかった。
牛小屋もまだあった。
私はずっと思い出深い美しい面影を写真に収めたいと思っていた。
帰ってきてみて、
こんなにも思入れのある場所だったのだと、
改めて思った。
今見て、感じていたこの気持ちを胸の奥にしまいこんだ。
また機会があれば戻ってきたい。
叔父は自分がどんな病気かを知っていた。一人、陰に隠れて涙をながしていた。
親戚たちもあわてて戻ってきて、
叔父を見舞った。
みんな叔父を見て、一緒に泣いていた。
私も妹も悲しみに泣いた。
でも、叔父さんに私が何かしてあげるということも出来ない。
彼の笑顔で最高の写真をたくさんとった。
実家での数日間、叔父のために点滴を打ってあげた。
アミノ酸、それから栄養素、
体力をつける点滴だ。
叔父さん、どうか平常心をもって、
健やかな気持ちをもって、
自分の病気と向かい合ってほしい。
もし、気分晴れやかに過ごせたら、
何年も長く生きられるはずだ。
もしかして奇跡も起こるかもしれない。
お父さんたちも叔父に働くよりも体を休めるようにと言い聞かせていた。
叔父の息子はとても親孝行だ。
彼の稼ぎは全部お父さんの治療費に当てている.
健やかに生きるよう励まし続けている。
叔父も随分感謝しているようだ。
私も心から神に叔父を守ってくれるよう、
祈り続ける。
叔父にとってこの世の美しい世界を享受できるよう、
いや、せめてすこしでも長く生きられるようにと・・。
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叔叔的故事
最近我家真是忙得不可开交.我家的表哥生小孩,我的叔叔病了等等.
其实都与我没有直接的关系、但是都住在爸妈家里,这样就热闹起来了.来看望他们的人也络绎不绝.我自然的也跟着忙起来了.
这次我的叔叔,被医生查出得了肺癌.对我们来说真是晴天霹雳.我这人也不是夸自己,我比较重感情、把家人看得重.我叔叔得了这个病我也不能袖手旁观啊.
我从小在老家长大,是一个贫困偏僻的小村子.隔壁就是叔叔家,他看着我长大,也照顾我们不少.叔叔他一生是个温柔、老实巴交的农民.我从来没有看过他对任何人发过脾气.
他也懂一些木工活、是爸爸教的.记得小时候、脾气暴躁的爸爸经常指责叔叔这没做好、那没做好,叔叔都默默无闻的听着.对我们这些侄女也疼爱有加.
初中高中毕业后,我和叔叔就很少见面了.几年过后,老家以及各个地方也渐渐富裕起来,发生了翻天覆地的变化.爸妈没有住在老家,因此我也自然没有回去老家.
偶尔叔叔也来城里一趟,来我家玩..叔叔还是那付和蔼可亲的模样.
偶尔从爸爸那得知叔叔,最近几年过得不好,好不容易把两个小孩拉扯大,儿子19岁还算听话在广州一所公司打工,一个月也能赚一两钱千块.可是女儿,高中毕业没有考上一所好的大学,就打工.
谈了几次恋爱,也不怎么成功.还跟一个男孩生了一个小孩,自己出去,连音讯都没有.就把小孩丢在叔叔家,让婶婶带,农村的活又多还要带小孩,足见有多辛苦.
更可恶的是,两年前,我这个表妹跟他男友,在我的老家贷款八千,买了一个摩托车玩.后来钱也没还,就这样两个人都走了.给叔叔留下了一屁股债.
我叔叔他老实,又怕老婆.叔叔只好来还这个帐.农村没有什么收入.叔叔就不分昼夜,不分干湿,拼命的种田,砍竹子,砍树来卖.最终却积劳成疾.
前年就开始身体有点不适,没有力气,有点咳嗽.农村里有点小病,根本不会去重视,想过一会就会好.家里吃得也不好,营养也跟不上.
慢慢的慢慢的,越来越严重.去年秋天,就手脚都肿了起来,吃不下饭,人立即就消瘦起来.在床上躺了一个月.到去年叔叔还了5千元帐.可是人却累倒了.那时婶婶也没有怎么叫医生给叔叔看病,觉得躺一躺应该会好.
一个月后,叔叔身体确实稍微好了点,就是感觉胸痛等.在这期间叔叔,还是没有忘记干农事,没有力气,就用手一步一步的把砍倒的竹子拖下山来.
到了今年身体完全没有力气干活了,脸色苍白,身体消瘦,还咳嗽,去医院检查后,查出肺部有肿块,而且急剧的在增长,淋巴结也有肿大了,好像是肺癌中期,也错过了治疗的最佳期.
叔叔哪有什么钱来做手术,也只能保守治疗,多吃点营养的.
听到我爸爸跟我说这些事情后,我都哭了.叔叔太可怜了.
我决定回去看看叔叔.
老家
1
我屈指一算,我卫校毕业后就一直没有回过老家,差不多9年了吧.家里到底是什么样子了呢?还是以前那样吗?
我的老家生我养我的地方,多少次走进我的梦魇中的那个地方,今天我就回来看你了.还有我长大后,没有好好敬奉过把我养大的已经去世的奶奶.这次去看望叔叔的同时,我要实现我的想法.
我,妹妹,爸爸,伯伯四人租了一辆车.我初中毕业后,老家还没有修公路,现在已经修了一条小马路,车子可以开到离我老家半公里路外.
一路上,我和丰丰两人激动不已.路很烂,不好走,车子也开得东倒西歪的.一个弯接着一个弯.我爸爸和伯伯,一路上谈论着,这是叫什么什么地方,那叫什么什么地方,小时候在哪里哪里干过什么什么活,他们两人也很激动.他们知道的地方比我和丰丰多多了,还能叫出名字,我和丰丰却很多地方的名字都忘记了. 一路上,我爸爸认识的人太多,打招呼都忙不来.
一个小时后,车子已经差不多开到了我念小学的地方,可惜这次我没有看看我的母校.接下来往回家的路上,我和妹妹就太熟悉了,想曾经每天走路去学校就是这条路.
老家确实有很大的变化,大家都做了两层楼房,以前全是土房,路也宽了.虽然路很熟悉,我却几乎叫不出村子的名字来.丰丰比我熟悉些,她还能说几个名字来.
老家
2
车子开到了我老家村子的山头上,师傅不敢再开下去了,等下不能上来就完了.我们只好提东西走路回家.
一下坡,就看到我了我家的村子,名叫高山寺,顾名思义,山当然高拉,四面环山.婶婶来接我们了,我高兴得高呼“婶婶,婶婶”,,然后也看到了村里一些熟人,一张张熟悉的面孔,什么嫂子啊,伯伯啊,他们也都非常的高兴,“玲伢子,丰伢子,你们回来拉,
好久没有看到你们,你们长这么大了,我都不认识了”,我也很高兴见到他们,向他们打招呼,问候他们好不好.村落的房子也有点改变,有的人家里也做了些楼房,但是路上的草长高了,人也比较稀少,年轻人都出外打工.
我家的房子和另外一户是山头的另外一角,是我们村里最偏僻的.然后我更熟悉的土啊,田啊,山啊一幕幕映入眼帘,这丘是我家的田,那丘是我婶婶家的,我还一一记得清楚.
到了,到了,我我我看到了我家的房子了,还是以前那样,是土砖房,还是那么好看,至少在我眼中是那么的好看.没有改变.左边山上是我小时候放牛玩耍的地方,右边是我捡毛栗,挖红薯的山头,那么熟悉,那么可爱,我太激动了
我家的邻居是一个老奶奶和老爷爷,他们家的儿女工作全在外地.听到我们回家的声音也赶出来了,“哎呀,玲伢子,丰伢子回来拉”,我们两也兴奋得,奶奶,爷爷的直叫,他们两都有78岁了,
可是身体硬朗的很,还是老样子,只是白头发多了点.他们说,“谁是玲伢子啊,谁是丰伢子,我完全认不出了,长得这么可爱,如果在外面即使碰到你们也认不出来.”还跟爸爸夸我们两姊妹,“你真是有两个好女儿”.
然后我看到了瘦小的叔叔,脸色苍白,堆满了笑容的脸,你们回来拉,路上辛苦了.看到叔叔真是心痛.鼻子酸酸的.
我赶紧走进屋内,每个房间东瞧瞧西瞧瞧,我们家以前居住的房间,现在只有我叔叔婶婶两人在家,有点潮湿,破烂,可是却很温馨,亲切.我看了以前奶奶住的房间,
曾经的厨房,看了堂屋,还看到了10年都未见的奶奶的遗像,照片上我敬爱的奶奶,那么和蔼的微笑着.在我的记忆中,到 念初中我都是和奶奶一起生活.
在这个家.充满了多少的欢笑,多少次惹怒了奶奶,可是现在奶奶永远不在了,我也已经长这么大了.这次回来敬敬她老人家.祈求奶奶保佑我们平安,健康.
我还查看了我家的睡房,还是那个朱红色的床,朱红色的柜子.后门也还是以前那个后门,后门的栓子上有个圆孔,也还是在.我都不知道多少次梦见过,在屋后进来,
然后在门的圆孔上用手把门拴慢慢的移开,把门打开,还梦见别人在我屋后进来,此时真的看到了.没想到我的大妹妹也和我做了一模一样的梦.我们在这个家,这个房子里住了十多年.能不让人魂牵梦萦吗?
老家空气很清新,我用鼻子使劲的呼吸着,哇,好舒服啊.
屋前屋后,差不多还是老样子,树草高了,以前的一些小路也被树草掩埋了.屋后桃树没有了,小时候经常爬树的树也长粗了.竹子林也还那么茂盛.
菜园也还是老样子,勤快的叔叔婶婶,邻居爷爷奶奶,也还是在菜园里种了各种菜.门前两口池塘也还是在,不过正好现在是插秧的时候,水不怎么多.熟悉牛栏也还站立着.我把这么多美好的景色都想拍下来.
多么让我想念的地方啊,我回到你的怀抱了.有机会我会再来看望您.
安慰叔叔
叔叔在心里也已经知道了自己的病,自己一个人经常偷偷的抹眼泪.
我的姑姑们也赶回来聚聚,来看望叔叔.他们姊妹几个看到叔叔这样,也都哭成了一团.我和妹妹也跟着伤心的哭了起来.可是我却不能为叔叔多做点什么.把他的笑容拍下来作为永远纪念.
在老家的几天里,我帮叔叔输液了,输一些氨基酸,补充体力和营养.尽量劝叔叔,让他不要胡思乱想,要有好的心情积极面对自己的病,如果心情舒畅,多活几年完全没有问题,也许还有奇迹发生呢.然后爸爸他们也劝叔叔不要做事,好好修养.
不过,叔叔的儿子非常孝顺,懂事,赚的钱也全给他爸爸治病.还鼓励他爸爸好好活着.叔叔的心也感到欣慰.
我真希望老天能保佑叔叔健康的活下去.让他享受这美好的世界.至少多活一下.