久しぶりのブログ、これまで書いては消し,書いては消しで放置してた。
もやもやばかりで、きちんと言葉にできなかった。
居場所を探してあちこちに顔出しして、結局、こちらの都合やあちらの都合で、どこにも見つけられず。迷い道をさまようのは私の人生のありようと同じだと…
お茶会のような話中心はつまらない。
話題は料理、健康、家庭ではつまらない。
女性の得意といわれる手作りものは不器用だし面白くない。
面白くなくても、笑いで場をなごましましょう、なんて無理。
読書会の本は趣味、絵本、啓発書…
私が持ち出す、女性問題、社会問題、政治のこと、そんな硬い話題はと、あきらかに引いている。
浮いてるなあ、私って。
特に最近は、私自身の関心がそちらに向かっているようだから。
かかわった市民活動の場、勉強になるし、団結して組織は仲間意識が盛り上がる。
でも、でも、世の中はちっともよくならない。
原発、憲法、沖縄、長く活動しているひとには敬意を表するが、事態はどんどん悪い方向にいっている。なんで?
市民が頑張っても、要は聞く耳もたない政権側にいくら市民の声だと叫んでもどこ吹く風なんだなと、気づいたこの頃。
そして、市民活動としての主張はするが、政治活動にはちょっとというのはなんで?
お上にはさからえないという、、日本的風潮?
政治的活動はこわいというのも、刷り込まれた発想?
だけど、私たちの生活は政治、政権のもたらす結果といえるのだよね。税金の使われかたとか。
あまりにも知らないし、しることに躊躇するのはなんで?
権力者に任せていて、気づいたら大変なことになってい、なんてこともありうる…
で言いたいことを、うまく伝えられないことに未熟さを感じ、そもそもみんな、そんなこ難しい話より、馬鹿話で笑いたいらしいことに気持ちが萎える。
言いたいことを言ってしまって、後からやり返されたり、変な人的雰囲気を感じることも多い。
同じ問題意識をもっていても、何故か連帯できない。女同士ってこんな風に分断されているんだと、改めて高い壁を感じる。男は生まれながらに持っている特権にきづいてはいない。
独りで頑張る強さも能力も人間性もない。もともと人付き合いは苦手だったし。
引きこもって、好きなことに囲まれて、嫌なことはなるべく避けて、残りの人生を穏やかにすごしたいかも。
でも、最低限の生活さえ、自尊心を保っていられるかどうか心もとない。
うまく立ち回る方法も未熟なので、できないでいる、いや、本当はやりたくないから。でも、日本の大人はやるんだよね。人間ができてるとかなんとか。
こうやって日々を過ごすこと、せめて投げやりにならない尊厳をたもって…