新聞奨学生時代の生活~夕刊配達~ | 新聞少女物語

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淡路島から歌手を目指して上京して、1996年3月~1998年3月まで、新聞社から学費を借りて、在学中住み込みで新聞配達や集金をする、新聞奨学生をいう制度で専門学校に通う苦学生をやってました。そのころの過酷でなんともおもろい経験をネタに綴っていこうと思います

なぎは新聞奨学生するまで


 

夕刊ってなんぞや( ̄▽ ̄)?



でした。



 

淡路島では夕刊をとる習慣がありません。




 

とってる人おるんかな?




 

少なくともなぎは見たことないで( ̄▽ ̄)

 




午前の授業が終わって
お昼食べたら



折を見て帰らないといけません。




 

新聞奨学生は午後の授業は諦めるしかありません

 




午後の授業のない日はクラスの仲間で

ランチに行って、そのままくっちゃべってます。




音楽の専門学校に通うって時点で変わり者の

集まりなので

 




それはそれはみんな個性的で

楽しかったです。




元暴走族の総長もいてたw



 

途中バイト~とか

デートで~

 



って抜ける子もいてます。



 

なぎはぼちぼち夕刊で~

 



って帰ってました。

 



14時半には自分の部屋に帰って

少しだけ休憩してお店の前にいってました



 

15時前に夕刊が到着します



 

夕刊は朝刊と違って薄いし

チラシもないし

一度に全部自転車に詰めるし



 

朝刊のみの契約の人もいるので

サクッと配達終わります。



 

それでも2時間半くらいかかってたかな。



 

ただ

 



東京って

 

 


夕立ち

 

 


ってのがあるんですよね。

 


 

これも淡路におるときはなかったので

 



 

配達し始めたときは晴れてたのに

突然真っ暗になって土砂降り。。。

 



 

油断してビニールを持ってないときは

 




予備の新聞をカバー変わりにして

 




急いで屋根のあるところに移動して

 



雨が止むのを待つか

 



びしょびしょのまま歩いて販売店に戻って

ビニール取ってまた歩いて自転車置いてる

場所に戻るってのもありました。




突風が吹いて、自転車のかごから新聞がバサバサっと羽ばたいて環七の道路を舞ってるのをただ眺めるしかなかったこともw





拾いようがないので




なぎのせいじゃない…

知~らない( ̄▽ ̄;)





と環七を舞いまくる新聞を横目にしれっとその場を去ったw


 

 

夏は熱射病みたいになってもて

木陰で休んだり





途中ではいてもて





でも最後まで配るしかないので

フラッフラになって配りました




夕刊のときは近所の人やお客さんと顔を合わせることも多く、

挨拶したり


 

学校帰りの小学生に話しかけられたり

 



近所の配達先の工務店の息子が配達順路で待ち伏せしてあらゆる場所に出現するということもありました。

 



 

まじで電柱の影から現れてたwww

 

 

 


この頃SPEEDの人気爆発してて

Body and Soul歌ってる子供によく遭遇しました。





夕刊終わると翌日のチラシのセットをして、近所のお店で晩ごはん買って部屋に帰ってました。





時々近所の映画館の券が入ってて





その時はもののけ姫で





確かその映画館が閉鎖するとかで、もののけ姫が最後の上映やったと思います。





そうゆうときは、奥さんに言ってチラシを貰ったりしてました

(*´ω`*)





近所の孫がたくさんいるお得意さんにも余分にチラシ持っていったり




今はもうない映画館で観たもののけ姫






すごい迫力で圧倒されたなぁ