高井のつぶやき
詩人ハイネが「偉大なる精神は偉大なる精神によって形成される。ただしそれは同化に
よるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するが如く」
と言っております。
確かに、偉大な方や教えから磨かれた精神も有るでしょう。
しかし、それはあくまで影響されたものであり、自分自身の本質ではない、むしろ真似事の
似非(エセ)精神と思わざるを得ません。
例えば病。
医学科学の発展により、体に問題が起きると医療に駆け込み、病名をつけてもらい治療を
受けます。しかし医療により問題が解決したとしても、生きる力、すなわち生命力の
尊い力が在ったからこそ!などとお考えになる方は、少ないように思います。
大酒を飲もうとタバコを吸おうと、体に悪いものを食そうと、生命力は免役という細胞を
主に宿主(人間)がその働きを感じようと感じまいと、忠実に必死に働いております。
私の経験上、確かに言えることが有ります。
ご自身の命の意味を奇跡と感じ、医療は利用してもご自身の生命力を信じ感謝している方は
決して何が有っても、明るく生きていらっしゃいます!
生きる!生きねば!と思いつつ、あとは運命にお任せしようと微笑んで生きている方の
精神力には、唯々敬服致します。
経験は力なり!と苦しみを研磨として、神様が人間としての自分の存在を喜んで下さる
精神力を身に付けたく存じます!