試験終了を告げる先生の案内。

保護者は中庭に通されます。

順番に出てくるたくさんの女の子の中に、そこだけ白黒の世界みたいにポッカリと暗闇に包まれたような娘の姿。

この瞬間、完全に上手くいかなかったのだろうといことを察しました。

スカートはまがり、背筋は曲がり顔面蒼白。この時の娘の姿はおそらく一生忘れない。本当に悲しい、かわいそうな姿でした。

出来ることのなら、娘の人生でこんな顔させたくなかったな・・・。

 

朝は穏やかだった天気も、昼には強風に変わり案内の立て看板が引き飛ばされるほどに。

娘の第一声「多分ダメだわ」

・・・。

 

この学校の算数と社会がちょっと娘と相性が悪く、得意の国語で補填する作戦でしたが、1科目目の国語で大コケしてしまったそう。頭が真っ白になって問題文が全然頭に入ってこなかった。国語で低得点を確信した娘はそこで焦ってしまい、止まらぬ鼻水集中力をそがれ、もう後の三科目もボロボロだったそう。

 

摸試でも埼玉入試でも全く緊張しなかった娘がこんなにコンディションを崩す。

2月1日のプレッシャーたるや・・・。

 

なんだかもういち早くこの街を後にしたくて、少し離れた乗り換え駅でコメダ珈琲によりました。

好きなもの食べな、と言って娘が選んだパフェ。

よくがんばった。過去問の相性は最悪だったけど、逃げずによく挑んだ。

もうそれだけで十分。恥じることはない。そんなことを思いながらパフェを食べる娘を見ていました。

 

合格発表は当日20時?21時だったかな。

まず自分で見たい、といことでサイトを開き・・・ウワっと涙が溢れる娘。

「ダメだった・・・」といって号泣。

 

日能研からは、不合格だったら必ず本人から電話を下さい、と言われていました。

ちゃんと自分自身で不合格と向き合うためにも必ず子供自身で電話をかけさせるように、と。

涙が止まらずなかなか電話が掛けられない娘でしたが、「先生も帰れないからそろそろ・・・」と声をかけると自室に籠ってなんとか日能研に電話をかけ始めました。

この時何を話したかは、娘と鉄仮面(クラス担当)の秘密らしいです。先生が何を話してくれたかは分からないけれど、結構長い時間話して、自室から出てきた娘は目を真っ赤にしながら、でもさっきとは全然違う顔つきでキリっと

「明日〇〇受ける。私の受験をここで終わらせたくない!ママ出願して!」

としっかり前をむいていました。

 

実は娘が日能研に電話している間、夫と私は「2月1日校は残念だったけど、埼玉校は良い学校だし、うん埼玉校に行けるんだから、ほんとよく頑張ったよね」なんて話をしていて、まさか明日○○中学を受けたいと言い出すとは思わなかったんですよね。

体調も悪かったし、きっともう気持ちが切れちゃっただろうと思ったんです。

 

だから、自らもう一回挑戦しようと奮いたった娘は本当にカッコよかった。

 

私はすっかり終わった気でいたものだから、思わぬ出願で焦ってしまって、なぜか最寄り駅を自宅ではなく塾の最寄り駅にしてしまったり、併願校に馬鹿正直に2月1校の名前を入れてしまったり・・・これで不合格だったら私のせいだと思わずにはいられないミスを連発してしまいました。

 

受けると決まったら今からでも策を練らないと!

実はこの学校の過去問は2年分しかできてない。今から新たに過去問をやる暇はない。

というわけで、提出した2年分の過去問も引っ張り出したら、鉄仮面(クラス担任)が細かに方略を書き込んでくれていました。

落として良い問題、落としてはいけない問題。娘の得手不得手に合わせたアドバイスがたくさん。

時間がない中、この鉄仮面のアドバイスを叩き込んで、長かった悪夢のような2月1日に幕を下ろしました。

 

悲しかった。不合格・・・本当に悲しかった。

クールな娘があんなに泣くんだもんね。

仕方ないことだけど、受験にはこういうこともつきものだけど・・・つらいですね。

 

長くなりましたが、もし残念だった時、どんなにお子さんが渋っても、絶対日能研にはお子様自身に電話させるべき。

日能研の先生が言う通り、不合格にちゃんと向き合う、これ本当に大事だと思いました。

そしてプロを信じる。日能研の先生がいなかったら、娘2月1日で終わっていたと思う。

心強いですよ、塾の先生。

そしてここまで1年かけて娘との間に信頼関係を築いて下さったことにも感謝しております。