2年前のことなので、時系列が曖昧で申し訳ございません。
最初抗がん剤は本当に予定通りよく効いていたのです。腫瘍も小さくなっていたのです。
なのに腹痛が悪化している…
急遽CTを撮りました。
一度小さくなった腫瘍が、また大きくなり始めていました。「再発」です。
抗がん剤を投与している側から「再発」したのです。
主治医は「ガンの顔つきが変わった」という言葉を使っていました。
今投与している抗がん剤はもう効かないということなので、種類を変えてみましょうということになりました。
抗がん剤の種類や組み合わせはたくさんあるから、とにかく合う抗がん剤を見つけましょうと。
でも、この時はまだみんな「まだ大丈夫!」と思えていたのです。
合う抗がん剤を見つけて、とにかく腫瘍を小さくして造血幹細胞移植に持っていければ、ということで、まだまだ望みはたくさんあったんです。

私も、絶対大丈夫だと信じていました。
必ずまた社会復帰できる、必ず退院できる、必ず寛解状態に持っていける、そう信じていました。

だけど、年末年始に2泊だけ実家に帰ってきた弟は、とてもとても辛そうに足を引きずるようにゆっくりゆっくり歩いていました。
あの後ろ姿は今でも鮮明に思い出します。
身長の大きな弟がガリガリに痩せ、ゆっくりゆっくり歩いていた……。
ふと、テーブルの上に置いてあった薬の袋に目がいきました。
以前も書きましたが、なかなか本人から詳しい病状を聞き出す訳にはいかず、弟の顔色、声色、会った時の様子や言葉少なに語られる病状から必死に伺い知るのみ、といったような状況でしたので、真の弟の状態が分かりづらいところがありました。
だから、思わずそこに置かれた薬の名前で検索してしまったんです……
「医療用麻薬」の文字が飛び込んできた時、私はさーっと血の気がひくのが分かりました。
「お腹が痛いから痛み止めをもらってきた」とは言っていましたが、私は治療が上手く行ってると信じていたので、せいぜい強めのロキソニンみたいなものだと思っていたのです。
「医療用麻薬」「末期ガン等に云々…」

初めて理解しました。
弟の腹痛は「医療用麻薬」を使用しないといけないくらい酷かったんだ。そんなに痛みが出るほど腫瘍はまた大きくなっているんだ。

そう、はっきりと思い出します。
2年前のお正月、私は「ダメかもしれない……」そう初めて思った。思っている以上によくないことが起きていると悟ったのでした。

だから、お正月は実家に帰りたくない。
あのガリガリの背中を思い出すから。
テーブルの上の薬を思い出すから。
あの時確かに弟は生きていた。