二回目は、乗り換え検索で一番に出てきたルートで行きました。
すんなり迷子にならずに行けました。

弟は抗がん剤が始まった髪の毛が抜けることをとても気にしていました。
私は、弟の髪の毛が抜けて見た目が変わることは(いい意味で)何とも思っていなかったので、仕切りに髪の毛を気にする弟を前に、やはり闘病されている方本人と気持ちを共にする難しさを痛感するとともに、自分の至らなさをズシンと感じた出来事でした。

実はこの直近で親戚の集まりと、私の子の七五三、弟が出席するはずだった行事二つありました。
翌日の親戚の集まりは「風邪をひいて熱があるから」行けないことにする、と弟は言いました。母はずっと弟の体調が良くなかったことは知っていたので、すごく心配していましたが、風邪ということは微塵も疑っていないようでした。

私は、やはりガンであることは隠すべきじゃないと強く思っていましたので、とりあえず翌日の親戚の集まりは「風邪欠」で凌ぐとして、約10日後の七五三までには母に打ち明けるように話しました。弟は「うーん……」と同意とも反対ともつかないような返事をしていたように記憶しています。
とにかく、目の前にいる弟は、病状含めてとても一人で戦えるとは言えない、決して楽観視出来ない状態でした。

結局、弟は母にはまだ打ち明けたくないということで、七五三は「急な仕事」で行けないと欠席しました。

この七五三の日のことは本当によく覚えています。娘と息子二人ともの七五三でした。
前日は弟のお見舞いに行き、帰りに息子の袴をレンタル先から引き取り、着付けの美容院まで届け、ビデオやカメラの準備と慌ただしく当日を迎え、義父母からの「弟くん来られなくて残念ね、仕事なんだって?」という話しに必死に合わせ、母にも悟られないようにし、寝不足も合間って会食時には疲労困憊…。
主人には弟のことは打ち明けていましたから、主人も上手く話を合わせてくれたことには本当に感謝しています。
こうしてとりあえず、弟の入院を伏せたまま二大行事が終了しました。