またしても… | ~自由人の全力迷走blog~
昨日、1996年の天皇賞(春)馬・サクラローレル(29歳)が天に召されました。


僕が競馬を本気で勉強しようと思う切欠を作ってくれた、最初に覚えた馬です。


トウカイテイオーが大好きだった友人に誘われて、何度か競馬場やTVで観戦していたのですが、今一ピンと来ず面白いとは感じませんでした。

そんな1年を過ごしていたある日、TVを点けたら天皇賞(春)が行われていました。


ダントツの1番人気は、3冠馬ナリタブライアン。

競馬で3冠と言えば、4歳(現3歳)クラシックレースの皐月賞(芝2000m)・日本ダービー(芝2400m)・菊花賞(芝3000m)の3つのG1を全て優勝した馬だけに与えられる称号で、なかなか獲れるものではない、と言うのだけは知っていました。

漠然と「強いんだろうなぁ」と思いながら観ていました。

ナリタブライアンはスタートも良く、長い距離をそつなく着実に進み、最後の直線で先頭に立ち、そのままゴール❗

と、思われた瞬間、外からもの凄いスピードで飛んで来た茶色の、勝負服、頭駱、手綱、バンテージ、鬣を結ったリボン、全てピンク色で装った美しい馬。

ナリタブライアンに並ぶ間もなく、颯爽と抜き去りゴール板を駈け抜けたその馬こそ、サクラローレルでした。


「何て凄い馬なんだろう❗何て美しい馬なんだろう❗」

その日から、サクラローレルの虜になりました。


もっとサクラローレルを知りたい、競馬を知りたいと強く思うようになり、競馬雑誌や競馬新聞に載っている出馬表の見方や専門用語など、自力で懸命に勉強しました。

解らない事だらけで、他の馬を見分ける目もなく大変でしたが、今ではその努力の甲斐あって、競馬を楽しめています。


あの日あの時、彼の走りを見なければ、僕は競馬を知るのが何年も先だったかも知れないし、全く知らないままで居たかもしれません。


サクラローレルには、ナリタブライアンだけではなく沢山のライバルが居ました。

特に、1歳下の菊花賞馬マヤノトップガンと、無冠でしたがマーベラスサンデー、3頭同じ顔合わせになる事が多かったんです。

(左サクラローレル・中マーベラスサンデー・右マヤノトップガン)

3頭は長距離に長けていて、マヤノトップガンは逃げ、先行、差し、追い込みの全てに対応出来る器用な馬で、阪神大賞典でナリタブライアンと一騎討ちのデッドヒートをハナ差制し、1997年にはサクラローレルを下して天皇賞(春)を勝ちました。


マーベラスサンデーは、2頭には一歩及ばずでしたが、2頭に勝てるとしたらマーベラスサンデーだと、馬券を購入するファンも多く居ました。


話が反れましたが、サクラローレルは天皇賞(春)を勝った年の末、有馬記念も勝って年度代表馬となりました👑


しかし、前述通り、翌'97年の天皇賞(春)ではマヤノトップガンの2着に敗れ、以降のレースには出ず、10月の凱旋門賞(仏・G1)を目標に調整されました。

球節炎や骨折を2度経験していた事もあり、脚への負担を減らすためです。


凱旋門賞参戦にあたっては、前哨戦のフォア賞(仏・G2)を1度使い、調子を上昇させた上で本番を迎える予定でした。

ところが、そのフォア賞が事実上サクラローレルのラストランとなってしまいました。


レースの中に、屈腱不全断裂の大怪我をしてしまい、8着に敗れました。


後日談ですが、当時の仏競馬スタッフが「安楽死でよいか?」と問いたそうです。

それほど、怪我が酷かった(競走馬として再起不能)と言う事ですね。


でも、馬主・調教師・日本人スタッフが生かせる道を選択したため、治療後日本で種牡馬として生き長らえました。


奇しくも、サクラローレルがフォア賞に出走する数日前に、ライバルだったマヤノトップガンも、屈腱炎で引退との発表がありました。

2頭が同じ屈腱炎で次々にターフを去ってしまった事に、ファンの落胆の声も多く、僕も残念な思いで雑誌の記事を読んでいました。


2頭は共にシンジケートが組まれ、'98年度より種牡馬となりました。


サクラローレルの両親共に仏国の馬でしたが、母のローラローラが妊娠中に日本へ輸入され、サクラローレルは日本で生まれました。

父は、凱旋門賞馬のレインボークエストで、日本では珍しい血統でした。


当時の日本の競走馬の血統は、プリンスリーギフト系×ノーザンダンサー系→ノーザンダンサー系×ヘイルトゥリーズン系へと移行しており、全体的にノーザンダンサー系とヘイルトゥリーズン系の牝馬が多くなっていました。

ですから、ノーザンダンサーの血もヘイルトゥリーズンの血も入っていない、レッドゴッド系×クラリオン系のサクラローレルは種牡馬として期待されていました。


ただ、長距離血統は成長が遅い(晩成型)傾向にあり、調教師への預託料やレース登録料、医療費等に最低でも年間1頭700万円程の経費が掛かるため、早く賞金を稼ぎたい馬主達は、成長の早い(早熟型)血統を好んで買っていました。

こんな所にも時代の変化があったのですね。


サクラローレル産駒は、芝では大成しませんでしたが、中央から地方へ移籍したケイティブレイブの母の父としてその名を掲げ、地方ダートのJpn1(中央のG1に相当する)を3つも勝ち、昨年は惨敗でしたがドバイへも遠征する程の孫を出しました。


ケイティブレイブは、サクラローレルの血脈を次の世代へ繋げられる唯一の存在ですから、現役を引退したら種牡馬としても成功して欲しいです。


改めて、サクラローレルの冥福を祈ります(。-人-。)

元気でね!(p_;)ノ" 

いつかまた会おうね!!