先日、スーパーで買い物をしていたときのこと。

 

 

幼い子どもを連れたお母さんが、
少し強い口調で声をかけていました。

 

 

 

「なんで言うこと聞けないの?」
「さっきも言ったよね?」
「同じこと何回も言わせないでよ!」
「今日のおやつはなしね!」

 

 

 

 

 

でも、
隣で見ている限り、
その子どもは
特別ひどいことをしているようには

見えませんでした。

 

 

 

騒いでいるわけでもない。
危ないことをしているわけでもない。

 

 

 

よくある日常の中の、
よくある“子どもらしさ”。

 

 

 

そして、そのお母さんにも、
愛情がないようには見えませんでした。

 

 

 

むしろ、
ちゃんと育てようとしている。
ちゃんとしなきゃと思っている。
ちゃんと向き合おうとしている。

 

 

 

ただ——
頑張りすぎて、

とても疲れているように見えた。

 

 

 

心にも、身体にも、余裕がない。
息をつく間もなく、
心が、いっぱいいっぱい。

 

 

 

 

 

 

その姿を見た瞬間、
胸の奥が、ぎゅっと苦しくなりました。

 

 

 

それは、
「かわいそう」と思ったからじゃなくて。

 

 

 

過去の自分と、
過去のわが子を、
同時に見ているような気がしたから。

 

 

 

 

あの頃の私は、
いつも焦っていました。

「ちゃんとしなきゃ」
「言うことを聞かせなきゃ」

 

 

 

そうやって、
自分も、子どもも、
必死に“正そう”としていました。

 

 

 

でも今振り返ると、
あのときの私は、

自分の本音を無視して
子どもの個性を無視して

 

 


「世間体」や

「常識」や

「正しさ」に縛られて

 

 

 

不安や孤独と、
ひとりで戦っていたのだと思います。

 

 

 

 

 

 

あのスーパーのお母さんも、
きっと同じ。

 

 

 

子どもが悪いわけでもない。
お母さんが悪いわけでもない。

 

 

 

ただ、
頑張りすぎて、
余裕がなくて、

 

 


自分がどれだけ追い込まれているかに
気づく余裕もなくて。

 

 

 

だから、
無意識に子どもを追い込んでしまう。

 

 

 

そして、
家に帰ってから、
ふとした瞬間に
自分を責めてしまう。

 

 

 

「本当はもっと優しくしたいのに…」
「子どもたちと、楽しく過ごしたいのに…」
「なんで、また怒ってしまったんだろう…」

 

 

 

そう思っているのに、
どうしても同じことを繰り返してしまう…。

 

 

 

 

 

 

でもそれは、
あなたの意思が弱いからでも、
愛情が足りないからでもないんです。

 

 

 

今、
自分が“どこに立っているのか”が
分からなくなっているだけ。

 

 

 

あの頃の私に、
もし声をかけられるとしたら、
きっとこう言うと思います。

 

 

 

「そんなに一人で抱えなくていい」
「ちゃんとやれてる」
「少し、立ち止まっても大丈夫」

 

 

 

もし今、
この文章を読んで
胸の奥が、少しでも反応したなら。

 

 

 

それは、
あなたの中にある
“本当の感覚”が、
まだちゃんと生きている証です。

 

 

 

答えを出さなくていい。
すぐに変わらなくていい。

 

 

 

まずは、
その感覚を無視しないこと。

それだけで、十分です。

 

今月、
今の自分がどこに立っているのかを
そっと確認するための時間をつくります。

 

でもそれは、
ひとりで頑張って見つけるものではありません。

 

詳細は、
またLINEでお知らせしますね。

 
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