定例会の翌日、電磁波研の会報をじっくり読んでいると、電磁波過敏症で生きていきたいと必死になっていた当時の奮闘を思い出した。化学物質過敏症や電磁波過敏症の人達が社会に知ってもらう運動をやったり色々生き方を模索している事をあらかいキャンプ村の本だったかで知ったのだった。ホームレスにホームレス文化が認められるならば、電磁波過敏症に過敏症文化があっておかしくないと私は考える。会報等を読んでいると分かるが電磁波過敏症の生き方はそれだけ独特で、豊かな内容を持っていてヒッピーやホームレス、アーミッシュ等と同等の扱いができると思うからだ。

中でも、文明観についてだが↓
https://ameblo.jp/97116455/entry-12795792401.html

久々に当時を思い出したからよくよく考え直すと、公害問題とか過敏症とかの方々が語るナチュラリズムは荘子の考え方、ひねくれ方に非常に近いだろう。結局あれこれやっていたが答えはもっとずっと近く、すぐそこにあったのだ。

https://ameblo.jp/97116455/entry-12809736986.html

公害などの問題意識に貫かれている、文明を礼賛しないで(礼賛者からすると)“穿った”、見方をするスタイルこそは、↑の記事に引用した荘子の社会への見方そのものだとも思う。

※例えば公害問題系アカウントのパセリさんはツイートが興味深く参考にしている。