こういう人もいるという、教育の例外の一例ですが↓

 学校教育は洗脳ではありません。よく“洗脳をする”という言葉を気軽に使う人がいますが、洗脳(やマインドコントロール)は社会心理学での学術的定義があり、学校教育自体は残念ながら洗脳の定義では条件に当てはまっていません。↓

マインドコントロール: Mind control)とは、操作者からの影響や強制を気づかれないうちに、他者の精神過程や行動、精神状態を操作して、操作者の都合に合わせた特定の意思決定・行動へと誘導すること・技術・概念である[1][2]マインドコントロール論とも。不法行為に当たるほどの暴力や強い精神的圧力といった強制的手法を用いない、またはほとんど用いない点で、洗脳とは異なるとされる

元々マインドコントロールという言葉は、「潜在能力を引き出すためのトレーニング法」という自己啓発的でポジティブな意味合いで使われていた[3]。マインドコントロールには、学校や教育、様々なトレーニングで使われる人の認知行動原理と同じ技術が用いられる[2]。自らの心を平静に保ったり、集中力を高めるなど、心理状態を制御・調整する意味で、この言葉が使われることもある[2][13]。そのため、良いマインドコントロールと悪いマインドコントロールがあるという考え方もあるが、一般的には、「破壊的カルト」等のように何らかの詐術的な意味、他者を騙す性格を持ったものをマインドコントロール、本人に役立つ心理学の応用をセルフコントロールと言う[2][14]

 
 しかし、放送大学戦後日本教育史によると、例えば中等教育をとってみても、“国家社会が目指すべき(期待される)人間像”なんかが想定されているという風であり、上のツイート(つちさんの方)のように一部の敏感な人が、学校教育を洗脳と考えるのも無理のないことだとは思うのです。そこで、例えばカルトによるマインドコントロールの手法のように、学校教育でも同じような心理構造を生じうるとし、学校教育にも気を付けたいところです。これは、以前このテーマ(心理学、経済学批判)で記事にしたように、マインドコントロールだけでなく、世の中では問題にされていない人心掌握にも気を付ける態度と同じことです。(善しだの悪しだのと、というわけです。)
例えば、個々人が自分の中の学歴信仰の傾向を打ち破るのに、脱カルトのための手法を応用してみるなんていうのはいい着想だと思います。
(以前書いたこの記事のリブログ先では、学歴信仰のマインドコントロールがある時に解ける様子を是非見てみてください。非常に鮮明に描かれていますよ。↓)