リブログです。この人の大学、大学院、留学先の行き方はかなり理想的。偏差値を見ず、研究を見る。まあ、本人も大学入学してしばらくまでは学歴洗脳が解けていなかったわけですがね···この方も例の原憲·顔回タイプでしょうかね。そう言えば酔いどれカウンセリングセミナーなんかやっていますし。そう考えると私の大学の行き方は失業インテリになるために行っていたようなものですね(笑)

⇀「学歴信仰と勉強」 

僕の日本での出身校は横浜国大です。

僕らの時代、センター試験みたいなのはない時代で、国立大学は一期校、二期校に別れていて、確か、一期校が2月、二期校が3月の受験だったと記憶しています。一期校は東大、京大などの旧帝大、東工大、一橋などです。二期校は、横浜国大、埼玉大、神戸大、東京外大などでした。

 

そして、二期校に進学する人たちは、基本的に、第一志望の一期校受験に失敗した人たちでした。

 

横浜国大も、そういう人たちばかりでしたね。「惜しくも○○大受験に失敗した」という人が多かった。僕自身も京大受験に失敗して横浜国大に進学することになりました。「ホントだったら京大に行けたのに」なんて言ったりしていました。最初の頃、悔しかったんですよね。東大とか京大出身の人たちに妙なライバル心、いや嫉妬心を持っていましたね。お恥ずかしい限りです。

 

学部の学生時代の前半はそんな意識を持っていました。横浜国大は自分の学校ではないなんて不遜なことを思っていたのですが、いつの頃からかな?そういう意識が消えていったような気がします。今でも京大受験失敗の話はしますが、僕のおバカさ加減のネタとしてですし、「本当だったら京大に行けたはずだ、くやし〜!」って気持ちはありません。大学受験の成功体験って所詮10代の頃の勲章で、失敗体験も10代の頃の苦い思い出かもしれませんが、それからの人生のほうがずっと長いわけですから、その頃の経験にこだわっていても意味はありません。

 

4年生から大学院時代に意識が変わったのかな?面白い研究ができたのがよかったのかな?ウンウン唸って、新しいものを生み出す経験をさせてもらったと思います。何かオリジナルなものを生み出すときの喜びは、それが小さなものであっても、なんかのタイトルを獲得した喜びとは種類が違うような気がしました。そして、横浜国大は、そうした新しいものを生み出すことをサポートしてくれる環境(教員・施設など)を提供してくれました。

 

今では、自分の出身校である横浜国大が好きですね。僕っぽい学校だなって思います。キラキラしているわけじゃないし、ちょっと捻くれているけど、やる時はやるぜみたいな感じかな?

 

あと、CIISでの経験もよかった。偏差値なんてないし、合格可能性何%なんてものもなかったし・・・。そして、そもそも、ハーバードやスタンフォードみたいに誰もが知っている学校ってわけでもない。ただ純粋に自分が学びたいことを一番提供してくれんじゃないかと思った学校を選んだわけです。

・・・てなことを考えたのは、『「母といいう呪縛 娘という牢獄」 齊藤彩 著』を読んで、子供の学歴に強烈に執着する親ってたくさんいるよなぁって思ったのがきっかけです。

 

僕が思春期時代に、東大・京大などへの進学に執着していたのは、お受験教というカルトに洗脳されていたからなのかもなって思ったんです。

 

タイトルを目指すっていうのは、本当のモチベーションにならない。

 

点数を取るため、成績を上げるためっていう目標って、意味ないなって気づいちゃったら、もう効力がなくなります。

「なんで数学を勉強しなきゃならないんですか?大人になったって、どうせ四則計算ぐらいしか使わないじゃないですか?」って物事をよくわかった子供たちから聞かれたとき、「勉強していい大学入ったら、いいところに就職できて、そうしたらあなたは幸せだ」っていう説明には全く説得力はありません。子供たちをしらけさせるだけです。まともで賢い若者が、そんな欺瞞に引っ掛かるとは思えないです。でもある種の親は、そのやり方に固執し、泥沼にハマるのでしょう。

 

「宇宙の95%は、ダークマターとダークエネルギーで、今のところそれが何か、わかっていないんだぜ、要は、我々がわかっていることって、たかだか宇宙の5%ってことなんだよ」「無敗のハンニバルがスキピオに敗れたのは何故だと思う?」「太宰治って借金を踏み倒す酷い奴だった。でも戦時中に反戦小説を書いているんだよね」ってなことを投げかけられたら、興味を持つ子もいるかもしれません。