アポロ菅原の嫁❣️ 外伝 (10)ポイオニア戦士 大集合だ ヴぁ〜! | まつすぐな道でさみしい (改)

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1990年5月5日(土)
東京都:後楽園ホール
観衆:2,200人(超満員札止め)

新日本プロレス「3DAYS BATTLE 超実力派宣言」2日目 ※テレビ生中継


▼第6試合 時間無制限1本勝負

⭕️佐々木健介

(8分4秒 裸絞め)

×高杉正彦



 この試合はアレですね。


 試合内容に関して特に語るところは無いんですが、私の子供の頃のHEROであるウルトラセブンの中の人が新日本プロレスのリングにも上がってたんだ! って、一点に尽きるんですよね。


※私が子供の頃に遭遇したのは、全日本プロレスでウルトラセブンのMASKを被って日本中の子供たちを熱狂させていたセブンブームの頃です。


  こうやって紹介しときながらなんなんですが、この試合はテレビ朝日のアーカイブにたまたま残っていたのを発見したらしく、(全く需要が無いので)ワールドで視聴することは出来ません。


 一応気になると思いますので、この試合を取上げているbloggerさんの感想を載せておきます。




⑤佐々木健介vs高杉正彦

こんな試合あったかもと思う試合です。

しかししょっぱいですね~。

高杉は何もできないし、健介は力でねじ伏せることもできない。

「なんだよこれ」と頭抱えます(苦笑)

 

そういや剛とか高杉が平成初期の新日本に上がってたことありましたね。

同じころ元国際のアポロ菅原が北尾の指南役という立場で新日本に上がってました。

 

同じくらいの時期に橋本真也と栗栖正伸がスイングした試合やったことがありました。

売り出し中の若手と大ベテランの対決という点で共通してます。

橋本、栗栖は心意気が良かったんでしょうが、健介と高杉からはそういうの感じない。

本当しょっぱい!


 ま〜プロレスファンには、アンチ健介が多いですからね。


 セブンの中の人もアレですから、大体9割がたのプロレスファンの感想がこんな感じだとは思いますが、意外とですね、これとは全く正反対の感想を上げてるbloggerさんもおります。



それまでプロレス雑誌(週プロ、ゴング、ファイト)を読んで存在は知っていましたが、初めてテレビで健介の試合を観た記念すべき興行👊

そして、この日から健介ファン💨

当時かわうそは中学3年生、健介の影響を受けて髪型をリーゼントからケンスケカットに(笑)



 これはわたしのブロ友であるかわうそさんですが、当時中学生のかわうそさんの目には健介がリーゼントを刈り上げさせてしまうほどに魅力的に写ったんでしょうね🥰


 

 それまでプロレス雑誌を読んで存在は知っていましたが… というのはですね、健介はこの年の3月にどこかの海外遠征から帰って来たんですが、凱旋の時期が武藤敬司(武藤は2回目の凱旋帰国でここから大ブレーク)と被ってしまって、三銃士人気の陰に隠れてしまうというチョット可哀想な状況なんですが、武藤に対するコンプレックスを隠すことなく猪突猛進に突き進む健介と、それを目の敵にして叩き落とそうとする橋本真也っていう、三銃士とJAPANプロレス出身の若手の対立構造がこの時代面白かったですね!


※因みにブレザーを着ている武藤に対して、ケミカルウォッシュのデニムで決めた健介。ケミカルウォッシュって'80年代後期に一瞬流行った遺物なので、'90年にこのコーデは相当イケてないです。多分この時期こんなの履いてるのは日本中探しても佐々木健介と大仁田厚くらいだと思います。




 ま〜帰国したばかりの健介が何にも出来ないのはしょうがないんですが、私の注目するのは試合の後なんですよね。


 ゴングがなってもスリーパーを離さそうとしない健介にセブンのセコンドがブチ切れて乱入、新日のセコンド陣が割って入って止めようとするんですが、面白いことに、この面子がまた国際プロレスなんですよ!



 いつまでもしつこくスリーパーを離さない健介にブチ切れて乱入して来たのは剛竜馬なんですが、それを引き離してロープに飛ばしている新日本プロレスのジャージを着た男の顔をよく見ると、アポロ菅原が出て来るという珍現象!


 これは一体、どういうことなんでしょう?





1989年4月30日(日)
東京都:後楽園ホール
観衆:1,600人

パイオニア戦士 旗揚げ戦

オープニングセレモニー→公開練習→北尾光司の紹介→アームレスリング大会

※藤波辰巳が観戦に訪れ、アニマル浜口がエールを送る。

 ▼セミファイナル時間無制限一本勝勝負

⭕️アポロ菅原

(15分56秒 欧州式エビ固め)

×高杉正彦

 


 ▼メインイベント時間無制限一本勝勝負

⭕️剛竜馬

(14分30秒 アキレス腱固め→レフリーストップ)

×大仁田厚







1990年4月28日(土)
東京都:露橋スポーツセンター
観衆:3,000人(満員)

パイオニア戦士 '90格闘技フェスティバル

▼空手=2分2ラウンド

①○清水賢明<誠心会館>(判定勝ち)×山本孝<東邦会館>

②○西岡進<誠心会館>(判定勝ち)×田澤穣示<葵塾>

▼シュートボクシング=5分2ラウンド

③○津山啓介<シーザージム>(延長1回判定勝ち)×ベンケイ秋男<埼玉ジム>

▼女子プロレス=30分1本勝負

④○デビル雅美(12分3秒 パワーボム→エビ固め)×ハレー斉藤

▼45分1本勝負

⑤○板倉広(14分26秒 タイガースープレックスホールド)×川内大裕

▼女子プロレス=60分1本勝負

⑥○ミス・A(7分2秒 ラリアット→片エビ固め)×イーグル沢井

▼異種格闘技戦=3分10ラウンド

⑦剛竜馬<プロレス>(時間切れ引き分け)青柳政司<誠心会館>

剛竜馬「今日KO負けして、これで長州なんて言っても誰も相手にしてくれない。数年ぶりに神経過敏になった。」

青柳政司「プロレスラーが空手に対する興味を持ってサバキとか研究しているのがよくわかった。顔面蹴りが禁止ということでものすごくツラかった。」



 '96年に全日本プロレスをリストラされた剛竜馬、高杉正彦、アポロ菅原の国際プロレス出身の3人に大仁田厚を加えた4人により、たった2試合の興行で旗揚げした日本初のインディーズ団体だったが、2回目以降の興行に大仁田厚とアポロ菅原の姿はなかった。


 パイオニア戦士の旗揚げ戦で手応えを掴んだ大仁田は自身の団体FMWの旗揚げに動き、アポロ菅原は北尾光司のプロレスデビューに向けたコーチ役として渡米。



 まったく別の道を歩み出したと思われた国際プロレス出身3人のパイオニア戦士だったが、北尾光司の新日本プロレスデビューと共に新日本プロレスにアポロ菅原が参戦し、パイオニア軍団として新日本プロレスに殴り込みを掛けた剛竜馬、高杉正彦が、また同じリングで交わることになるのだから運命の悪戯と言えるだろう。



 このパイオニア軍団の新日本プロレス参戦に関しては、当時現場監督として主導権を握る長州力に対抗して、藤波に喧嘩を吹っ掛けてきた剛竜馬、高杉正彦、青柳政司を抗争の末ドラゴンボンバー合流させて勢力を拡大する計画だったのだが、新日本プロレスからパイオニア軍団に支払わられていた結構な額のギャラの大半を剛竜馬が中抜きして使い込んでいたことが発覚し、パイオニア軍団は崩壊。



 ご存知の通り、アポロ菅原は元・横綱の不祥事と共に新日本プロレスから姿を消している。



 




 そんな紆余曲折を経て熊本に自身のお店にOPENに漕ぎ着けたアポロ菅原には、当然居酒屋経営も頑張って頂きたいのだが、もうし一つ重要な使命が残されている。




 



 


 いつになるかは分からないが、多くの国際プロレス出身レスラーが鬼籍に入るなか、昨年流れてしまったイベンをこの2人が現役の間に実現して頂きたい。