そもそも礼節の本旨とは何か。
その目的は何か。
その効果はどんな物か。

想うに、

本旨は、相手を敬う事。

目的は、敬意を伝える事。

効果は、良好な人間関係構築。



そしてこれも私見だが、

例えば、ある商品を買う時、大して値段もサービスも違わなければ、人は、売り手(人間)の好き嫌いで判断する。

よく知らない相手に対し
好意を抱くか否かは、見た目だけでは無く、礼節を守れる(きちんとしてる)か否かによる処が大きい。



最後は、礼節を守る事が出来る『人間力』が雌雄を決するのだ。




過ぎたるは何とやら言う様に、余りに礼節の枝葉末節に拘り、人間の本質を見ようとしないのも又、礼節の本旨にそぐわない。

そもそも礼儀の形式的側面の由来となる『しきたり』や『習わし』は国籍や出身地、宗教や職業、果ては家庭毎に微妙な違いが有り、
理解・判断には相当な『想像力』を必要とする。

『想像力』が無い時、或いは、ある作為・不作為が礼節を欠くと言う事自体を『知らない』時には、
多かれ少なかれひんしゅくを買う事になるが、

ある程度は仕方のない事と割り切ると同時に、経験値を上げるチャンスと捉えたい。

そしてそれを気付かせ、又は、実際に指摘してくれた相手方には、『謝罪と謝意』を忘れてはいけない。


礼儀や節度と云うものは場面に応じ反射的に表現されなければならない。

則ち、『身に付いて』いなければ瞬時に反応出来るモノではない。

臨機応変・適切に反応出来ない時、善意の相手方は直ちに『不躾で駄目な奴』の烙印を押す事となる。

その烙印は、親密度が低い程、速く鮮明に押される事になる。

又、親密度が高い場合には、『寛容』さが働いて直ちに判断される事は少ないが、何等かのきっかけでそれまでの不満が一気に噴出し、
親密度は180度反転して、関係は全くの他人以上に冷え込む事になり、回復には相当の時と労を要する。

これが恐らく、『親しき仲にも礼儀有り』、延いては『可愛さ余って憎さ百倍』、と古より諺が物語る所以であろう。