そもそも、合格に至るまでに最低限必要な勉強の質・量の絶対的可視的な指標は、未だ何人も示す術を持っていない。

ただひとつ言える事は、
大量かつ難解な試験上の重要論点を全て完璧に咀嚼・記憶すればかなりの確率で合格する、と言う事である。

頭脳明晰で有れば早く合格するし、
逆の場合には相当の時間と複数回受験が必要、という事になろう。

早く合格する事が資格の価値では無いが、
『生きる術』としてその資格取得を志した以上、早い(若い)内に合格するに越した事はなく、

『通常の学習能力の一般社会人』としては、幾何かの出費を覚悟して先達の知識を頼りに『時間を買う』、
つまり、それは偏に、合格に至る効率的な『近道』を求める為なのである。

不合格者には、本試験当日、自己採点、結果発表、と少なくとも三度の難行が課される。

そして、発表の後は更に自分自身と嫌と言うほど向き合わなければならない。


合格者の発言感想は、限定的個人的意見で有ろうと『成功例のひとつ』として公信力が備わり、何人もそれを否定し得ない。

逆に、不合格者のそれは、如何に弁を尽くそうとも、『負け犬の遠吠え』にすぎず、果ては、内心の有り様にまで言及され、良心に悪影響さえもたらす。


『勝てば官軍』とは佳く言ったものだ。


つづく。
試験は独りで受け、自らの力で『合格』を手にするものである。誰かに受からせて貰う訳では無い。
落ちるのが自分の所為である以上、当然に、受かるのも又自分の所為に他ならない。
そのバランス感覚を意識していないから、合格すれば誰かのお陰と感謝する代わりに、
不合格の時には他の誰か(何か)の所為にしてしまうのだろう。

不合格の責任を他者に押し付ける心理と、
合格の功績を他者から受けた恩恵と感謝する心理は、表裏を為すものだ。


自らの意思で資格取得を目指した以上、
どんな教材を選び、どの様に勉強をしたのか、
そしてその結果、
合格ラインを越えるも越えないも、
自分以外の誰の『所為』でも無い筈なのである。

だから俺は、自分の力で自分の『合格』をする。