何かがおかしい。。
前回学んだ【集団主義】![]()
ベトナム戦争時のアメリカの兵士たちは、帰還後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)などの後遺症に悩まされた。
今はイラク戦争で、また同じ問題が起きている。つまり過酷な戦場体験で壊れかけるのだ。
ところが日本の皇軍兵士は、なぜかこの後遺症とはあまり縁がない。
彼らを被写体にした『リーベンクイズ日本鬼子』や『蟻の兵隊』などのドキュメンタリー映画が語るように、大陸で数多くの人を殺戮した彼らの多くは、不思議なくらいにけろりとしている。
乾いている。
忘れている。
あるいは記憶の底の引き出しにしまいこんでいる。
少なくともアメリカの兵士たちのように、過剰なPTSDを抱えながら悶え、社会生活を営めなくなるようなケースはほとんどない。
要因としては宗教や文化などの違いもある。
でももしも皇軍兵士たちが戦場で一人称単数の主語を失っていたと仮定するならば、壊れなくて当たり前だと僕は思う。
だって多くの人を殺したその記憶は「自分の」体験ではなく「みんなの」体験なのだから。
ほーん。。いやぁ、でも、そんなことなくね?![]()
気になる。。
調べるか。。。![]()
とりあえず図書館に行って戦争コーナーの前に立った。
何かこれについて学べる本はないだろうか。。。そう思い探してみると、一冊の本が目に入った。
【蟻の兵隊 日本兵2600人 山西省残留の真相 池谷 薫】
おや?。。蟻の兵隊?前回のブログで紹介した【誰が誰に何を言っているの? 森 達也】さんの本に書いてあったドキュメンタリーのタイトルと同じやん!!
そうか、そのドキュメンタリーの書籍バージョンかっ!!
早速借りた![]()
本当に日本の皇軍兵士は大陸で数多くの人を殺戮し、ケロリとしていたのだろうか。。?
。。。。たくさん名前出てきて覚えれん![]()
脳がフリーズして時に睡魔に負けそうになりながらも、なんとか完読![]()
確かに、麻痺してしまった兵士の心情は書かれていた。
しかし、それよりも。。山西省残留問題自体を初めて知って、私は衝撃を受けていた。
こんなことが戦後にあったのだ。。。と![]()
えっ?私が無知なだけなん?
みんな知ってるのか?常識なんか?![]()
私と同じように、えっ?山西省残留問題ってなんなん?
という方がいるかもしれないので、簡単に紹介します。
一九四五(昭和二十)年八月、ポツダム宣言を受諾した日本は連合国に対して無条件降伏した。
これにより海外に派遣された帝国陸海軍の将兵たちは、すみやかに武装を解除され、家族の待つ祖国へ帰国することになった。
しかし、中国山西省に駐屯していた北支那方面軍隷下の北支派遣軍の将兵約二六00人には、その喜びは無縁だった。
中国国民党系軍閥の部隊に編入された彼らは、戦後なおも三年八ヶ月にわたって中国共産党軍と戦い、五五0人余りが戦死した。
生き残った者も七00人以上が捕虜となり、長い抑留生活を強いられた。
ようやく帰国することができたのは昭和三十年前後になってからのことだった。
ところが、帰国した彼らを待ち受けていたのは逃亡兵の扱いだった。
日本政府は、残留将兵たちが「自らの意思で残留し勝手に戦争をつづけた」とみなし、彼らが求める戦後補償を拒否しつづけたのである。
二00一(平成十三)年五月、元残留将兵ら十三人が原告となり軍人恩給の支給を求めて国を提訴した。
しかし、一審判決では国側の主張が全面的に認められ、原告側は敗訴した。
山西残留問題は歴史の闇に葬り去られようとしていた。
報われない。。読み終えた後、めちゃめちゃモヤモヤした。
「ダンサーインザダーク」や「ミリオンダラーベイビー」を観た直後のような。。いや、「ファニーゲーム」(元祖のほう)を観た後に、なんでや!と憤った時に似ている。。
胸糞すぎて2度と観たくない映画である![]()
結局、権力者の味方なのか?この国は。
そして首謀者でもある「偉い人」は真っ先に逃げる。
加害者が被害者面している。
しかも、この問題。。なんか変だ。
第一軍将兵の残留は、大本営や日本政府、さらにはGHQの一部がグルになって進められていた可能性が高い。
だから真相解明などされず、嘘の歴史だけが残るということか?
やりきれぬ。。。
さて、冒頭で書いた、戦争の悲惨さや人間が壊れていく様子が書かれていた箇所を紹介する。
一九四五(昭和二十)年八月十五日。
この日の早朝、第一軍独立混成第三旅団陸軍兵長の奥村和一は、八路軍に対する討伐作戦のため寧武の大隊本部を出発した。
空は晴れていたものの、いつものように黄砂が視界をさえぎり、昼なお暗い行軍だった。
ふと上を見上げると、おそらく農民のものであろう中国人の首が電線に点々と吊るされていた。
八路軍に鉄道を爆破された腹いせに、日本軍があたりの農民にスパイの嫌疑をかけ処刑したものだ。
「見せしめか。。。。」
凄惨な光景だが、もはや奥村には何の感情も湧き起こらなかった。
討伐に出るたび見かけるため慣れてしまったのである。
入営してから一0ヶ月、すでに奥村は、人間を一個の物体とみなして処理する『一人前』の兵士になっていた。
歩きながら奥村は、半年前に行われた訓練のことを思い出していた。
うしろ手に縛られた中国人を銃剣で刺し殺す。
上官たちはこれを【肝試し】と呼んでいた。
最前線の戦場で躊躇なく敵を殺せるように、中国戦線の日本軍は初年兵教育の仕上げとして新兵たちにこうした訓練を命じていた。
最初はあばら骨に当たるばかりでうまくいかなかったのが、何度目かの時にスーッと心臓に入っていった。
「ああ、俺にも人殺しはできるんだ。これで一人前の兵士になれた」
今年(ニ00七年)八十三歳になる奥村は、かつての記憶をこう語った。
他にも、昭和十五年八月二十日からはじまった八路軍との『百団大戦』で、日本軍の戦死者は約二万人にのぼり、合計四七0キロに及び鉄道が寸断され、一五00キロの道路とニ00を超える橋が破壊された。
大損害をこうむった日本軍は、すぐに報復の手段に打って出る。。治安を回復するため第一軍がとった行動は徹底していた。
八路軍が支配する地域に入ると、兵士でなくとも疑わしき者は殺し、食料を奪い、女を犯して、家を焼いた。私はこちらの本を読みながら、つい頷いてしまう。
私も著者・森達也さんと同じことを思うからだ。
そして、日本の闇の部分がチラ見えするので色々考えさせられる。。。
森達也さんの戦争論。。紹介する。
戦争は一部の指導者の意思だけでは起こり得ない。
国全体が「鬼畜米英」や「大東亜共栄圏」のスローガンのもとに、「悪い欧米列強を懲らしめて皇国日本がアジアを解放するのだ」との大義に自己陶酔し、これは聖戦であるとの意識に傾倒していったからこそ、メディアはこの時流に迎合し、軍部は権力を増大した。
国民がそんな意識を高揚させた背景には、軍部とメディアによって煽られた「このままでは日本は欧米列強に侵略されて滅ぶ」との危機意識が働いている。
つまり相互作用。
どちらか一方だけの責任ではない。
だから、「A級戦犯だけに戦争の責任があって一般の国民は騙された被害者だ」とする考え方には、僕はまったく同意できない(ただし、周恩来が唱えた「日本の一般の国民は軍部に騙された被害者である」との考え方に基づいて国交回復に応じ、さらには日本からの賠償も放棄した中国が、その軍部のトップであるA級戦犯を合祀する靖国になぜ総理大臣が参拝するのだと怒りたくなる気持ちはわかる)。
これは以前、地政学を学んだ時に知った![]()
国家は本来、自らを守ることにしか関心がありません。
戦争を起こす国が決まって「これは防衛戦争である」と宣言するのも、その国は本当に自国の防衛にしか関心がないからです。
どんな国でも、隣の国が急速に軍備拡大をすれば多かれ少なかれ恐れるものです。
今日の中国と日本の関係は、この典型例です。
中国は自らを守るために軍拡を行っているはずですが、日本は「中国に攻撃されるかもしれない」と考え、防衛力を強化しています。
詳しくはこちら↓
これって、日本がした戦争は聖戦であり特別なのだ!とかの話じゃないよね?![]()
敵国だったアメリカだって、そうよね?![]()
日本だけではない。
ファシズムによって自由主義や民主主義が滅ぼされようとしているとの危機意識によって、アメリカはこの戦争を正当化した。
つまりこれも自衛のための戦争だ。
日本とアメリカだけではない。
ナチス・ドイツですら、「このままではゲルマン民族は滅ぶ」との危機意識を持っていた。
その意味では冷戦構造も同じ。
東と西側双陣営に共通していたのは、「隙あらば攻撃してやろう」との侵略の意識ではなく、「隙あれば攻撃される」との自衛の意識だ。
何度も中東戦争を引き起こしたイスラエル。
ベトナム戦争やイラク戦争におけるアメリカ。
テロリストの元締めとして世界の敵となったアルカイダ。
周辺諸国への挑発を繰り返す北朝鮮。
これらすべてに共通の共通するメカニズムも、やっぱり「このままではやられる」と「ならばやられる前にやれ」との自衛意識の高揚だ。
つまり「あの戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争だった」までは正しい。
でも、その後に続くべきセンテンスは、「だから過ちではない」ではなく、「ただし世界中の戦争当事国と同じように」なのだ。
私は宗教は人々を洗脳する道具の一つだと思っている。
過去のブログにも書いてきたが、宗祖の教えはどこいったん?ってくらい、組織や教団の都合の良い形に変わってしまっているからだ。
この本で初めて知ったが、やはりか。。と、残念な気持ちと共に、当時の日本国民が戦争へと駆り立てられたのも理解できた(現代人よりは信仰心は深いであろうと思っているから)。
この本のP212に、写真が掲載されている。
浄土真宗大谷派長浜別院の大通寺の廊下の柱に貼られていたものを、別院職員で僧侶でもある宮尾卓さんが撮って送ってきてくれたものだそうだ。
柱に貼られたこの紙は、太平洋戦争が始まったころに貼られたものらしい。
【東本願寺】と記されたその上に、【同信報國】と書かれ、その右に【精神一つで國は立つ】、左には【信念一つで國興る】と記されている。。。。
大谷派だけではない。
本願寺派も含めて、真宗教団の戦争協力はすさまじかった。
この時代には国内のほとんどの宗教組織や教団が戦争を肯定したけれど、真宗のその姿勢は、明らかに突出していた。
当時、太谷派や本願寺派が僧侶や門徒たちに呼びかけた戦争協力の文書は、膨大な数にのぼる。
そのほとんどが当時の国策に従って、『世界の平和』や『東亜の安定』などを大義として掲げながら、悪い欧米列強を懲らしめることを正当化し、この戦争を聖戦として肯定した。
そこにはブッダが唱えた「殺すな 殺させるな」のエッセンスは欠片もない。
宗祖である親鸞が提示した「遠く通ずるに、それ四海の内みな兄弟とするなり」の教えも消え失せている。
1995年6月15日、大谷派宗議会は不戦決議を表明した。
「かつて安穏なる世を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされ、宗門からさへ見捨てられた人に対し、心から許しを乞う」
と記されている。
2004年5月24日、本願寺派は、当時の門主の考え方などを表した文書が門信徒らに侵略戦争への協力を呼びかける内容であったとの見解を示し、その間違いを公表した。
批判したから誉めるつもりではないが、真宗は過去のあやまちを隠さない。
戦争協力だけではなく、被差別問題やハンセン病問題など、教団を守るために国家に寄り添い、国策に加担した自分たちのあやまちを、大きな声で表明する。
あやまちも反省も、とにかくスケールが大きい。
そして考える。露出する。反省する。謝罪する。
何をどう間違えたのかを、徹底的に考える。
だからこの国のあやまちを見通すことができる。
自衛の意識が戦争を発動するメカニズムであることがよくわかる。
だからこそ、やはり言いたい。
「あの戦争は自衛戦争だから正しかった」なる主張が、いかに稚拙で浅薄な論理であるかを。
まだまだ考えよう。学ぼう。
最近また、中国!中国!と騒がしい。
コメント欄を覗けば、中国への悪口がズラズラと並んでいる。
大きな情報の波にのまれて、気づいたら望んでもいなかった場所に流されているかもしれない。
流されるまえに、冷静に判断できる大人になりたい。
私は、自他共に認める『洗脳されやすい人』なんだ。
。。。気をつけよう![]()
最後まで読んでくれてありがとう![]()
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次回も同じテーマになると。。思う。



