​何かがおかしい。。。


「あの戦争は自衛戦争だった。」


「アメリカやコミンテルン、中国共産党などの謀略によって始まったのだ。日本がしたことは間違いではない。


「自衛戦争だった」には賛成するが、「間違いではない」と続くと、私はウーン。。となる。

なぜなら戦争は自衛の意識から始まるからだ。日本だけが例外ではないはずだ。


近代の戦争のほとんどは、過剰な自衛意識がもたらした防衛戦争だと著者・森達也さんは言っている。私もそう思う凝視



これは前回のブログ↓

にも、書いた。


今回も、もぅ少し考えてみよう凝視


過剰な自衛意識が向かう先とは。。?


改憲か?戦争なのか?凝視


前回に引き続きこちらの本から↓

誰が誰に何を言ってるの? 森達也




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戦争の本質とは?


ベトナム戦争にアメリカが介入するときの大義に掲げたのは、
「共産主義は際限なく近隣諸国に感染して自由主義陣営を脅かす」
とのドミノ理論だった。

この国もかつては、アジア解放という大義に、ABCD包囲網やハル・ノートによって刺激された「大和民族存亡の危機」というセキュリティ意識が重なって、ついにはアメリカへの開戦を決意した。
そしてアメリカは、ナチズムが猛威を振るうヨーロッパの状況に脅威を感じたからこそ、開戦を決意した。

ならばナチズムはどうか?
ナチスのスローガンでもあった「生存権」(Lebensraum)との言葉が示すように、第一次世界大戦における膨大な賠償金支払いと強要された国土割譲、さらには世界恐慌の打撃で激しい混乱状況にあったドイツ国民もまた、このままではゲルマン民族は滅ぶとの強い危機意識に捉われていた。

戦争の本質を知ることは、「愛する君を守る」式の高揚が、結局のところ「守る」どころか「殺す」ことになってしまっていることを知ることでもある。
でも人はなかなかこれを学べない。
同じことをくりかえす。



著者・森達也さんが、【男たちの大和/YAMATO】の監督の佐藤純彌さんと対談したときの話を紹介する凝視

難しいテーマだけど、私も同じ気持ちだ。

たくさん学んで考えなければいけないと思う。


「私には今年15歳になる孫がいます」
佐藤純彌は言った。
「彼が戦場に行かねばならないような状況は、絶対に作ってはならない。憲法改正を議論する国会のニュース映像を観たことがあります。第一次吉田内閣のときです。野党から『国の自衛権を否定するのか』というような質問をされた吉田茂は、はっきりと『自衛という名で戦争が起こったことは多々あります。ですから自衛権は否定します』と答えています」
このときに質問した野党議員は、戦後の共産党を再建した立役者でありながら、93年に戦前の党規違反を理由に除名された野坂参三だ。

日時は日本国憲法公布のおよそ4ヶ月前である1946年6月28日。
衆院本会議で野坂は、憲法草案の9条を示しながら、「侵略の戦争は正しくないが、侵略された国が自国を守るための戦争は正しい」との趣旨で質問し、これに対して吉田は、「近年の戦争の多くが国家防衛権の名において行われたことは顕著なる事実であり、正当防衛や国家の防衛権による戦争を認めるということは、戦争を誘発する有害な考えである」と一蹴した。
記録ではこのときの吉田の答弁に、議事堂では大きな拍手が沸いたという。

でもその教訓と記憶は、いつのまにか消えた。
本当にそんな時代があったのかと思いたくなるほどに、痕跡も残さずきれいに霧消した。
だからこそ今、同じように自衛意識の塊となった隣国が被害妄想的な挑発行動をくりかえすたび、この国の政治家の多く(吉田茂の孫である麻生太郎を筆頭に)は、「やられる前にやれ」との敵基地攻撃論を、臆面もなく口にする。

もう一度書く。
愛するものを守るためと自己陶酔的に高揚することで結局は愛するものを殺してしまったことを、僕たちはあの戦争で学んだはずだ。

自衛の意識が最も燃費のいい戦争の燃料であることを、世界は20世紀以降の戦争から知ったはずだ。


「戦争はすべて当事者にとってみれば防衛戦争であり、視点を変えれば侵略戦争だ。どちらかひとつはありえない。」



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過剰なセキュリティがもたらすもの


さて、話は変わるが、街中至る所に設置されている防犯・監視カメラ。

「監視カメラ作動中」の文字を見ても、わたし監視されている!驚きよりも、これでちょっとでも犯罪が減るならええやんニコニコくらいに考えている。いや、この本を読むまではそう思っていた。

麻痺だ。麻痺してしまっている真顔


セキュリティ至上主義について考えてみよう凝視


私たちは適応能力がとても高い。

適応能力が高いということは、帰属する集団に自らの思想や感覚を合わせる馴致能力が高いということでもある。

馴れると違和感を持たなくなり、周囲に同化する。

そして環境の変化を感知できなくなると森さんは言う。


日本はあらゆる場所に監視カメラを設置しないといけないほど、本当に危険な国なんだろうか?

この本は15年前の本で、現状のデータではない。

しかし、この国の本質は変わらないのでは?凝視


『昔から殺人事件の多くは、通りすがりや見ず知らずの者(つまり不審者)の犯行よりも、家族や身内のあいだで起きるほうが圧倒的に多かった。少年事件だって同様だ。2000年に少年法が改正されて厳罰化が進められたとき、法務省は変える理由を「少年事件が多発すると同時に凶悪化しているから」と説明したが、少年事件そのものはピーク時である1960年前後のほぼ3分の1(つまり殺人事件全般とほぼ構造は同じ)に減少しているし、少年による凶悪な事件も決して増えていない。むしろ減っている。』



子どもたちが危ない。
子どもたちが狙われている。
子どもたちを守らねばならない。

このようなフレーズを、あなたも一度や二度は(もしかしたらもっと頻繁に)耳にしているはずだ。
危険な通り魔や変質者が、近年は急激に増加している。卑劣で邪悪な彼らは、まず弱くていたいけな子どもたちを狙う。だから増殖する悪の手から、子どもたちを守らねばならない。

この数年、そんな危機意識とスローガンを背景に、日本全国の自治体で防犯パトロールや自警団が雨後のたけのこのように増殖し、ほとんどの学校の敷地内には防犯カメラが設置された。
文科省はGPS機能つきのランドセルやスニーカーの開発を発表し、子どもたちをめぐる防犯グッズはヒット商品となり、集団登下校は日本全国で当たり前。ガードマンを雇用する学校も珍しくなくなった。
ならば考えねば。
子どもたちをめぐるこの国の治安は、本当に悪化しているのだろうか。

2006年におけるこの国の殺人事件の認知件数は1309件。
戦後最高は1954年の3081件だから、人口比で考えれば、ピーク時の4分の1近くに減少しているといえるだろう。
小学生以下が被害者となった殺人事件の件数も、全般的な殺人事件とほぼ同じ曲線を描きながら減少している。

ちなみに警察庁が発表する『殺人事件の認知件数』とは、殺人事件の実質的な数ではなく、警察が殺人事件として受理した件数で、予備や未遂、心中事件までも含まれている。
実際の殺人事件は、この数字の半分強くらいと推定される。
このデータが記載されている法務省の犯罪白書によれば、確かに刑法犯全般の認知件数は、2000年前後から急激に上昇している。でも森田ゆり『子どもが出会う犯罪と暴力』
(NHK出版)が示すように、この統計もまた警察が犯罪として認知した事件の数であり、実際の犯罪数の増加を意味しない。
特に最近では、(ストーカー法など)多くの刑法犯が新たに創設されており、刑法犯全般が増加することは当たり前なのだ。

2005年の国際犯罪被害調査(ICVS)によれば、日本の犯罪被害者の対人口比(%)は、他国にくらべて圧倒時に低い。
アイルランドは21.9でイギリスは21.0、スイスは18.1でアメリカは17.5、オーストラリアは16.3でドイツは13.1、フランスは12.0で日本は9.9だ。

また2002年度版の犯罪白書によれば、人口10万人あたりの年間における殺人発生数は、アメリカが5.5件でフランスが3.7件、ドイツは3.5件でイギリスは2.9件、そして日本は1.2件だ(ただし警察庁がまとめる日本の殺人事件には、前述のように予備や未遂に一家心中まで含まれているから、実質は1.2の半分強の数値と推定される)。
もしかしたらというか間違いなく、日本の治安は世界でもトップクラスに良好なのだ。

いずれにせよ、治安は悪化などしていない。どんどん良くなっている。
でも人は脅える。
治安が悪化しているかのような報道をくりかえすから。
ならばなぜメディアは、そんな報道をくりかえすのか。
不安と恐怖を煽ったほうが、視聴率や部数は上がるたらだ。

こうしてメディアとマーケットの相互作用により危機管理意識を高揚させたこの社会は、与えられたイメージに見合うだけの邪悪な敵を可視化しようとする。
でも見つけられない。見えない。正確に書けば、見えないのではなく、それほどに肥大した邪悪な敵など存在していないのだ。

ところが高揚した危機管理意識は、敵が見えないことでさらに恐怖に煽られ、敵を必死に探し続ける。


歌舞伎町浄化作戦の目玉として、警視庁は2002年に50台の監視カメラを設置したそうだ。

結果としてこの年に歌舞伎町で起きた犯罪件数は2100件凝視

ところが設置前の2001年は1800件驚き

減るどころか。。増加しとるやないか煽り



。。。イギリスでは?


アメリカと並んで厳罰化を推進する国であるイギリスでは今、全国で450万台以上の監視カメラが設置されている。

1日外を出歩けば、およそ300台のカメラに自分の映像が撮られているとのデータもある。

ところが最近、「監視カメラがもたらす防犯効果については、駐車場での車上荒らしを5%減少することはできたが、繁華街や公共機関では効果はほとんど認められなかった」とイギリス内務省は報告した。

監視カメラに防犯効果はほとんどない。
でも人は監視カメラを求める。
見てもらいたいのかもしれない。
大きくて強い何かに。
同時に人は、見えない敵の存在に脅えて、敵を探す。
カメラに写らなければ作る。それも無自覚に。
こうして仮想敵が誕生する。


実際は治安が良くなっているのに、体感はどうだ?

どんどん治安は悪くなっているように感じる。。煽り


2006年で殺人事件の認知件数は1309件。

ちなみに2009年は戦後最小の1097件であった驚き減っとるがな!


日本は治安が悪い!凶悪な犯罪も増えていて危険だ!と国民に思い込ませたい。。なぜだろう?凝視

原因はちゃんとあるのだ。

日本が変わったきっかけは。。やはりあの事件からだ。


次回、そのあたりをまとめる物申す


最後まで読んでくれてありがとうニコニコ愛