私が小学生の時、地域のみんなで近所の小さな神社を定期的に掃除する当番があった。
その神社は、夏休みの地獄のラジオ体操や、思春期女子には罰ゲームでしかない相撲大会などの子供会の行事でお世話になっていた場所だ![]()
近所の子らとよくその神社で遊んでいたが、背の高い木がたくさんあって、昼間でも薄暗く、少し不気味だった。
ある掃除の日、竹ぼうきで落ち葉を集めていたら、叫び声が聞こえた。
声が聞こえたほうを振り返ると、皆が集まっていた。
私も急いでそちらに走った。
皆が同じ場所を見ているので、覗いてみると、大きな木に、藁人形らしきものが刺さっていた。
「うぉっ
。。。本物なのか!?」
私は興奮した。
なぜなら、その頃の私は【不思議のたたりちゃん】などのホラー漫画をよく愛読していたからだ。
人知れず興奮していると、誰かが怖くなったのか悲鳴をあげてその場から逃げた。その悲鳴が皆の恐怖を煽り、「ギャー」と言いながら、散り散りになった。私も怖くなって逃げた
恐怖は伝染するのだ![]()
薄暗い田舎の神社だったので、呪うにはピッタリの場。。。ん?神社で人を呪うのは、なんか変だな![]()
。。逆に最適な場所だったりするのか?![]()
ちなみに、私はお化け?幽霊?はいると思ってる派。
↓過去記事
以前【祈りは届くのか】ということを、学んだ↓
私は、人間が秘めている力を知り、感動した。
「祈りってすごいパワーがあるんだ!!
。。。。ん?祈りが伝わるなら。。逆もあるんかな?憎しみや嫉みなどの怨念も相手に届くのか?では、呪いの藁人形も。。効果があるのか!?
」
私の中で疑問が生まれた。
呪いについて何か分かる本はないかなぁと調べていたら、面白そうな本を見つけた![]()
どうしても読みたくてAmazonで珍しく購入(いつもは図書館か古本屋)
今回はこちらの本から↓
室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界 清水克行
学びます![]()
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歴史オンチの私でも、楽しく読めました![]()
私の思う昔の日本人は、清く正しく美しくというイメージだったんやけど、ぶっ壊れました![]()
この本の舞台は、タイトルにもあるように室町時代です
(歴史オンチの私は、室町時代と聞いても何もピンときません
)
京都の南の郊外にある醍醐寺だいごじは、平安時代に開創された真言宗醍醐寺派の総本山である。
現在は【世界遺産】にも認定され、春は桜、秋は紅葉で知られた観光名所となっている。
応仁の乱の真っただ中の文明元年(1469年)10月に事件は起きた。。。
この頃、多くの村人たちは、醍醐寺周辺の田畑を耕作して、収穫の一部を醍醐寺に年貢として納めていた。
醍醐寺は、その門前の集落のことを、【御境内ごけいだい】とよんで、そこから上がる収益を重要な財源としていた。
ところが、ある日、村人たちが混乱した世情に乗じて、とんでもないことを言い出した。
「門前のすべての田地の年貢を半済はんぜいにする」
というのだ。
。。半済ってなんだ?![]()
【半済】
荘園領主への年貢の納入を半分だけにすること。残りの半分は、その土地を実効支配している者の手に委ねられた。
醍醐寺。。村人らの要求をのんだら、寺の財源がピンチになる!!![]()
どうする?!と、思ったら、僧侶たちは予想外の動きをした![]()
村人VS醍醐寺の僧侶ファイッッ![]()
「半済」というと聞こえはいいが、彼らは内戦下の混乱を利用して、事実上の年貢半減要求を醍醐寺に突きつけたのである。
しかも、彼らはこの要求を貫徹するため実力行使に出て、寺に対して様々な『狼藉ろうぜき』(暴力行為)まで行っていたらしい。
お坊さんやお公家さんというと、実質剛健なサムライたちとちがって軟弱で、こんな事態が起きたら、オロオロするばかりで、てんで頼りにならない、というイメージが読者の方々にはあるかも知れない。
しかし、このときの醍醐寺はビックリするほど毅然としている。
まず醍醐寺の僧侶たちは、この事態を放置すれば『一寺の滅亡』であると一歩も引かず、全山あげて村人たちに対する徹底弾圧に乗り出した。
そのときの様子は、みな僧侶であるにもかかわらず【甲冑かっちゅう】や【弓矢】を帯びて、応戦に及ぶという過激なものだった。
一方、対する村人たちも決して引き下がらず、門前は収拾のつかない大混乱に陥った。
やがて膠着こうちゃく状態を脱するため醍醐寺は、こういうときの『旧例』として、ついに恐るべき最終兵器の使用に踏み切ることになる。
。。。僧侶が甲冑、弓矢![]()
やる気満々ですな![]()
この本は、室町時代の人々の生活を知ることができるが、特に僧侶は。。酷い。。。![]()
本当にこんなめちゃめちゃだったのか?![]()
僧侶が用意した最終兵器って?!![]()
時は、文明元年十月十日。
僧侶たちは帷とばりから執金剛神像しゅこんごうじんぞうを引っ張り出すと、それを本堂の内陣、東海護摩壇に安置して、そのまえで数日にわたり20人がかりで千反陀羅尼せんべんだらにと不断陀羅尼ふだんだらにという呪文を唱え続けた。
さらにその後は神像を外陣に再安置して、再度、毎日、千反陀羅尼を唱えたのだった。
執金剛神とは、釈迦に従って仏法を守護する守り神。
その姿は、仁王像と同じく憤怒ふんぬの形相で、甲冑を帯び金剛杵こんごうしょという武器を掲げる厳めしい武人の出で立ちをしている。
ふだんは寺内の奥深くに安置されているその像を引っ張り出し、20人もの僧侶たちが堂のなかで濛々と護摩を焚き、揺らめく炎のまえで呪いの文言をひたすらに唱え続けたのである。
そのさまは、おそらくこの世のものとは思えない鬼気迫る情景であったにちがいない。
僧侶たちが寺内の奥から引っ張り出してきた像が、執金剛神像![]()
その守り神の前で、呪いの文言をひたすらに唱え続けるって![]()
僧侶。。。![]()
いや、でも呪詛自体が罪に問われるわけではないし、そもそも呪詛したところで、その効果があるかどうかなんて立証できない![]()
そもそも唱え続けるだけで、勝てるんか?![]()
しかし、驚くべきことに、この僧侶たちの呪詛は効果てきめんだった![]()
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やがて、その効果はてきめんに表れた。
まず首謀者であった村人数人はすぐに捕らえられ、寺の僧侶たちによって呆気なく処刑される。
仏罰ここに報い来たれり!
かくて事件は落着したかに思えたのだが、話はまだここでは終わらない。
その後、他の『御境内』の村人たちにも「病死」、「病悩」(重病)、「餓死」、「頓死」(原因不明の急死)という悲惨な運命が待ち受けていた。
その年のうちに村内の数えきれない人々が不可思議な理由で次々と命を落としていったのである。
その災厄は人間にとどまらず、果ては彼らが飼育していた牛馬や、家中の下人(使用人)にいたるまでが「頓滅」するという始末。
わずかな期間に、決して広くはない村のあちこちで、醍醐寺に反抗した人たちや無関係の者までが僧侶たちの呪いをうけて連続不審死を遂げる。
これこそが醍醐寺が秘蔵していた【最終兵器】だったのである。
一つの村を、老若男女・馬牛眷属けんぞくまでなぎ倒す【最終兵器】の威力は、われわれの想像を絶するものがある。
生き残ったわずかな村人たちも、みなその霊力に戦慄し、いまさらながらに天を仰いだにちがいない。
そんなバカな話があるか。と思われるだろうが、これは真実なのである。
いや、少なくとも、当時の人々はこれを『真実』と考えた。
こともあろうに醍醐天皇も祈願所とした霊験あらたかな大寺院に刃を向けた愚かな村人どもは、当然の報いとして、一村滅亡の災厄に見舞われることになったのである。
その後、仏罰の霊験が証明され、醍醐寺に楯突く村人があらかた死に絶えたことを確認した翌文明二年五月三日、執金剛神像は元の場所に戻され、ようやく呪詛の儀式は集結した。
「これは本尊の威力であり、すべては皆の丹精込めた祈りの結果に他ならない。尊いこと極まりなく、崇敬してもしたりないほどのありがたさである」
一連の出来事を書き残した醍醐寺の僧侶は、誇らしげな言葉でその文書を結んでいる(「三宝院文書」、『大日本史料』八篇三巻所収)
。。まず、呪詛の前に、僧侶が首謀者であった村人数人を処刑
って。。え?直接手を下してるけど、室町時代はなんでもありなのか?!![]()
しかも、首謀者だけでは飽き足らず、使用人や動物まで呪い殺したんか。。。
『本来なら人を救済するべき僧侶が、その死を念じて呪詛を行う。しかも、その効果が表れるや、得意満面。宗教者にあるまじき所業というほかない』
と、著者・清水克行さんは言う![]()
しかも、呪詛を行っていたのは。。。醍醐寺だけではない![]()
やはり呪いは。。存在するのか?!![]()
人間が集まって一つの事に全集中すると集合意識で何か起こせるのだろうか?
幸せを願ったりすると祈りの力になり、不幸を願うと呪詛になるのか?![]()
次回、名前を書いたら、その人が死亡?室町時代にデスノート?
について、学びます![]()
最後まで読んでくれてありがとう![]()
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